活動報告

<年男(未年)卓話 1>福島康人会員

<年男(未年)卓話 1>福島康人会員3093.jpg 改めましてあけましておめでとうございます。私も横須賀ロータリーに入れて頂きまして今年で早や7年になります。南ロータリーの在籍と、もうすぐ同じくらいの年数になります。今年は戦後70年とのことで、私も72才で、何か其の事について、喋るべきかな?と思い、データーを色々拾い出したのですが70年の歴史は長いです。また今日の卓話に合わないので、途中で止めて少しだけ話をさせて頂きたいと思います。
私は、昭和18年5月15日、福岡県田川市白鳥2093番地生まれ、生年月日は先日退会されました岸さんと全く同じでビックリしました。岸さんが在籍だったら"タメ"になり面白い話が聞けたのでは無いでしょうか?生まれた土地の「2093番地」未だに覚えています。これは不思議で、今まで色んな土地を歩いて来ましたが、住所さえ覚えていません。この年は、学徒動員され敗戦色が濃く2年後に終戦となりました。私は勿論何も覚えていません。その後覚えているのは、長男が戦死し骨が木の箱に入っていて振るとガタガタなっていました。実際は開けてないのですが、恐らく石か、他の物だと思われます。それと食べ物です。田舎ですから米はおばさんが売りに来ていました、ヤミ米です。桝で量るのですが、1斗桝は丸く、1升桝角その上を、丸い棒で均すのですが、上手いぐあいに少ないのです。その上、白い石が入っていて、噛むと時々ガリガリと音がします、幾つも石が入っている。勿論、麦飯、アワ飯、イモ飯いずれも米は少なく、弁当に入れる場合、上の麦を取って入れてくれていました。
5歳から幼稚園に入りました。其のころの写真を見ますと皆、草履と下駄です。私は何故かハイカラ(長髪)でした。それが小学生まで続いたので、女の子に交じってよくDDTをかけられました。6歳の頃、お稚児さんをやりまして、1人で写っている写真はこの1枚だけ残っています。写真では解りませんが其のころは可愛かったのかな?と思います。65年前ですが、小学校の頃は映画を良く見に行きました。学校から行くときは「二十四の瞳」、「ビルマの竪琴」、個人的に行くのは、モーニングショー(日曜日朝早く)2~3本立てで「笛吹き童子」、「紅クジャク」等でした。それより前には無声映画を見ました。ハッキリと覚えていないのですが、弁士が居て、ステージの前の下に3~4人の楽団がいました。またプロレスの力道山、大相撲は、町の食堂にテレビをよく見に行きました。食事する人は中で、その他の人は窓から見る、大勢の人で見え無く、音だけ聞く事も有りました。その頃の歌も良く覚えています。リンゴの唄・とんがり帽子・異国の丘・憧れのハワイ航路・銀座カンカン娘・長崎の鐘・ミネソタの卵売り・テネシーワルツ・雪の降る町を・お富さん・月がとっても青いから・ガード下の靴磨き・若いおまわりさん・東京だよおっかさん・星は何でも知っている・その他沢山、昔の歌は忘れませんね。
それから一気に飛びまして、横須賀に着任してからの話になりますが、40年前、田中さん(南ロータリー)の友達のお声掛けで新日本緑地(株)に就職して(元市会議員の増田さん、丸孝産業長岡さん)約30年前に独立しました。昭和59年より会社を立ち上げ、その頃はバブルの始まりで軌道に乗りました。しかし、前会社の社員からの妨害等があり、なお且つ、金は無く郵便局の簡易保険を抵当にして運営しましたが、体を動かす事には抵抗無く、日夜、365日働きました。昼食は車を運転しながら食べ神奈川県中を動き回り、夜は一晩中、図面を描き、(今は365日仕事365日休み)お陰様で、完全にバブルの落とし子と成り、5年後には5億以上の売り上げ達成する事が出来ました。其のころは横須賀の造園業者の中ではトップクラスになりました。しかし金銭的には苦しく、私の給料は30万円~0円、今は売り上げは半分近くに成りましたが順調よく無借金事業で遂行しています。現在、元の会社の新日本緑地を13年前に買い取りまして、(株)わとう園で子会社として経営しています。

横須賀に来て良い事が幾つか有りました。(1)有馬記念にて1万円で325万当てた事。但し社内で蔓延するとまずいので馬券を買ったのは初めてでしたがそれで終わりにしました。(2)鎌倉霊園の管理をさせて頂いておりますので、美智子皇后陛下よりお声を掛けて頂いた事があります。正田家のお墓がある関係で年に1~2度お参りにいらっしゃった時にです。(3)「わが人生に悔いなし」の作詞者なかにし礼さんからは御手紙を頂きました。偉いと思うのは私はご本人のお留守中ご自宅の植木を見に行っただけなのに、新しい処に移るからとわざわざのご連絡でした。~鏡に映る 我が顔に こらえた涙 いくたびか はるばる遠くへ 来たもんだ 親にもらった 体一つで 戦い続けた 気持ちよさ 我が人生に 悔いはなし~  72才になっても生きている限りは 青春だ。以上、ご清聴ありがとうございました。
ページの上に戻る