<新会員卓話 2> 山 下 統 郷 会員
私は1970年昭和45年生まれの、現在43歳です。生まれた年に大阪万博があったり、マクドナルドの1号店が銀座にできた年です。限られた時間の中で私のことを皆さんに知って頂く為には何をお話すればよいか、悩みましたが、私が熱中したことが2つあるのでその話をさせて頂きます。
一つは競泳です。小学校1年生から高校までの12年間、競泳をしていました。小学校4年生から選手コースという、タイムを競うための練習がメインとなるクラスになりました。当初は週に4回スイミングスクールに通い約90分の練習で3キロから4キロ泳ぎます。ただ泳ぐだけでなく、いろんな練習に全て制限時間が設けられており、非常に厳しい練習でしたが、楽しい仲間がいる楽しさとか記録を更新した時の喜びとか非常にやりがいがあったと申し上げたいのですが、本当は嫌で嫌でしょうがなかったのです。親が通えといったから通っていた程度のことでしたし、小学生のため、とりわけ目標があったわけでもなく、とにかく練習が厳しかったので夕方練習のある日は学校ではなるべく体力を使わないようにしていました。体育でマラソンの時は目いっぱい手を抜いていました。やめればいいのにと思われるかもしれませんが、そういった知恵がなかったのです。
親に塾へ行って勉強を頑張りたいからスイミングを辞めたいとでもいえば親ももしかしたら喜んでやめさせたかもしれませんが、その様な発想がなかったのです。恐らく勉強嫌いの私が塾に通いたいといえば、親は何か裏があると疑うと思いますが。
しかしその後は大きな大会に出る嬉しさとかライバルに勝つ喜びを実感することができ、高校卒業まで続けることができました。厳しい練習に耐えて続けてこられたという自信が今でも自分の心の支えになっています。
もう一つは大学時代に行ったライフセービングです。皆さん、ライフセービングをご存知でしょうか?よく海水浴場に行くと監視台にパラソルを立てて真っ黒に日焼けした赤と黄色のキャップをかぶっている人がいるのを見たことがある方もいらっしゃると思いますが、私は大学の4年間、それまでの競泳の経験を生かそうと思いそれをやっていました。競泳に比べたら楽だろうと思ったのですが、どうも私は苦しいほうを選択してしまうようです。
毎年7月中旬から8月末まで伊豆下田の白浜海水浴場で監視及びトレーニングをしておりました。白浜はエメラルドグリーンのそれはきれいな海なのですが、そこに来るお客さんは決して海水浴を満喫することだけが目的でないやや不純な動機を持って来る若者が多いです。そんな中、朝5時に起床し、5時半から6時半までトレーニングを行います。浜辺のランニング、海に入水し沖にあるブイまで泳ぎ戻る、救助用のボードこれはサーフィンのロングボードを更に大きくして安定感のある物ですが、これを救助者を想定してひたすら漕ぎまくるなどを行います。今考えると朝まで飲んでいる若者たちをしり目に朝の5時半に海に入っているなんてすごいなと思いますが当時はその毎日が当たり前のものでした。
朝食を終えると7時半に監視台につきます。一つの監視台に3~4名のチームでつきます。監視する人、下で待機する人、ボードに乗って海上で監視する人、などの役割を17時までローテーションで行います。そのあと1時間またトレーニングをして夕飯は自炊です。夜9時には全員就寝です。寝起きするのは近くの公民館で、50畳くらいの広間に布団をびっしり敷きつめていますので自分のプライベート空間は畳1枚分でした。真夏にエアコンのない部屋で40人以上の若者が生活しますので、夏の後半には布団から悪臭というか異臭が放たれておりました。もう一つ辛かったのが食事です。特に昼食が海の家で売っている300円のお弁当で質量ともに大変質素なものでした。たまにぺヤングがついてくるのがとてもうれしく最高にうまかったのを覚えています。
一度溺れている人を助けたことがあるのですが、なんと足がつく場所で、しかも大きな浮き輪に乗っていたのに溺れていたんです。すぐに浜に引き上げて、救助したのですが外人の方で相当に酔っぱらって海に入ったらしいのです。呼吸はしていたので、気道を確保して救急車に乗せました。大事には至らなかったのですが不法入国の外人だったようで、病院から脱走したと聞いています。
余談ですがある年ライフセーバーの写真集をだすということで我々の活動にカメラマンが同行して、海パン一丁の我々の様子を撮って実際に写真集が発行されたことがありました。僭越ながら私も結構大きく載っていたのですが、あんまり売れなかったようです。ただ1か所だけ売れた本屋があったらしいのですがそれが新宿2丁目の本屋で、あまりに売れるので店の一番目立つところに山積みされていたそうです。これは本当らしいです。
競泳、ライフセービングと社会に出るまでに熱中したものをお話しさせて頂きましたが、プール、海と水に関係するものでしたが、社会に出て入った会社が証券会社で扱うものが水物という一面があるなあと今回の卓話原稿を書きながら思いました。社会に出てからもいろいろありましたが、やはりこの2つの経験がつらいときに大きく役立っていると考えています。
とりとめのない話になりましたが、これからもよろしくお願いいたします。