<卓話>「 ヨーロッパの印象 ~ その変化 ~ 」
新東貿易(株)専務取締役 磯 畑 宏 治 様
今日はヨーロッパについての話をさせて頂くことになっていますが、いまやもう日本人にとってヨーロッパというのは特別な存在ではなくなっておりまして、むしろ心配事の種がヨーロッパに詰まっているような印象すら受けるわけです。経済に関心ある方は新聞を読む度に、去年あたりまではヨーロッパ問題、ギリシャ危機等々ありましたので、今、一部の南ヨーロッパの国々は、特に、ギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリア等々は自分の国の経済を自立できないという印象すら我々持っていまして、ヨーロッパに対する印象は非常に全般的に悪くなっております。しかし、よく考えてみますと、明治以来近代化は全てヨーロッパからであったわけです。ですから、今も社会制度、文化、科学技術等々全て源流はヨーロッパにありまして、アメリカを通じて入ってくることが多いですが、このあたりでもう一回謙虚になって源流のヨーロッパを考えてみるのも意味が有るのかなと思います。
さて、私事ですが、勤務していたキヤノンのヨーロッパ本部がアムステルダムにありましたので、1983年に赴任しました。これは、30年前ですが、そのときは非常に強烈なカルチャーショックを受けました。日本とあまりにも違うのです。
まず事務所に入りますと、絨毯が敷かれてあるわけですね。その当時絨毯というのは日本ではあまり無かったのですが、かなり大きな机が、一人一人、秘書でも平社員でも皆大きな机に座っていまして、机が間隔をおいてありました。そんな中で、プラントがあったり、今では別に珍しくもなんともないのですが、その当時は非常にびっくりしました。その当時の日本の状況というのは、小さなスチールデスクを寄せ集めまして、そこでみんなして座っていましたので、肩がぶつかるくらいの間隔しかありませんでした。書類を置くにしても机に山積みにしていましたが、向こうでは書類は、ちゃんとキャビネットが当然の如く有りまして、そこにきちっと秘書が整理して置いてありました。
事務所から外を見ますと、これはまた街並みがびっくりするくらい綺麗だという思いがありました。色は、アムステルダムは、大体レンガのトーンで統一されておりまして、屋根も道路もある一つのトーンでまとまっていまして、電信柱も無くて、その当時のヨーロッパというのはとにかく日本と違っていて、「ああ、これがヨーロッパなのか」という思いをいたしました。
「さあ、どうするんだ、日本はどうすれば良いんだ」と考えていたんですけれど、その後十数年ヨーローパへ行ったり来たり、各地を歩いている間に、ヨーロッパに対する意識は変化してきました。つまり、「憧れ」のような存在が「対等」に、その後「軽視」にまで変化してきたということです。
「歴史的にすごいな」と仰ぎ見ていた相手を力ずくで倒して、「何だ、たいしたことないんだな」とでも思っていたようなふしがあります。その背景は、産業の競争力の問題です。日本勢とアメリカ勢もあるんですが、あまりにも急速に豪雨のように輸出攻勢をかけて、ヨーロッパの産業の力をそいでしまったのです。
1980年頃から、イギリスからは製造業が失われていました。工場はどこへ行ってもペンペン草が生えていまして、売却の広告ばっかりです。フランスは官僚統制国家なので、民生品の輸入を簡単に認めないので被害は少なかったのですが、大変だったのはドイツです。自由貿易を標榜して自ら輸出で稼いでいる国ですから、輸入規制をするわけにいかない。
名だたる主だった電気メーカーや事務機メーカーなどは、ほとんど壊滅してしまいました。キヤノンでコンポーネントを担当していましたので、そういうメーカーに出入りしていた自分としては、非常に複雑な心境でした。しかしドイツは、自動車や重電、化学産業等しっかり残っているわけで、政府の政策で「弱いものは退場やむなし」というはっきりした態度をとったということかも知れません。
そうこうするうちに、ヨーロッパ人の日本に対する見方は、「軽視」から「迷惑」、そして「感服」というものに変わってまいりました。当初は日本人ビジネスマンがヨーロッパ中を動き回っているのを見て、迷惑なことだと考えていたはずです。わざわざなぜ遠い極東から余計なものを売り込みにきているのかと。電気製品でもなんでも向こうで作っていましたから、大変迷惑だったと思います。そのうち、その製品が非常に品質が良くて、技術力もあり、生産力に対して脅威に感じてきた時期があります。
そういう折に、ヨーロッパにはECというのがありましたが、ヨーロッパ同士で戦うのはやめようという考えでしたが、その当時もう、ヨーロッパよりもアメリカ、日本といった外の勢力に負けそうになっていましたので、それに対して結束をしなければならないということで、EUが出来てきたと思います。
また、最近では、韓国、中国ビジネスマンがのし歩いていまして、日本は実はやや影が薄くなっています。なぜこのような流れができてきたかというと、日本企業の最大の目標は、マーケットシェアをとるということですから、そのための生産の効率化を行う。マーケットシェアを取るということは、どこかのシェアを取ってしまうわけですから、どこかが減ってしまうわけですけれども、それがなべて日本企業の行動様式でした。それに対してヨーロッパ人の理念は、労働は必要最小限にしてゆったりと優雅に暮らす、という発想であります。
ヨーロッパの製造業の基本は受注生産で、車でも納期は3ヶ月、半年というのが普通であります。日本
のように見込み生産で在庫を持って売りまくるというやり方をしません。どうも、ものの考え方が違うようです。これでは日本と勝負になりません。価値観が違うんです。
ヨーロッパ人が大事に考えることは、次に挙げるようなことだと思います。まず個人主義とでも言いますか、個人の自由な生活時間を何よりも大事と考える、労働時間は必要最低限とする、もちろん休出とか残業とかはまずしません。自分の仕事に干渉されるのは嫌います。その代わりに、他人の仕事にも干渉しないし、手伝うことはしません。とにかく、困っていても手伝わないということがあります。それから、平等主義。基本的に上司も部下も平等です。上司が言うことも自分が納得しない限り聞きません。説得失敗したならば上司が自分でやるしかない、というようなことになります。他の分野でも言えるのですが、医者や学校の先生が威張っていません。医者も看護婦も患者も対等です。学校の先生も生徒と対等ですから、生徒を怒鳴ったり怒ったりはしないという基本的なところがあります。
それから家庭主義。家の中をとにかく磨き上げて年代ものの良い家具をそろえる。それを親子代々伝えていく、というところがあります。家で優雅に過ごすということを最高の価値と考えているわけです。会社と家庭という対比で、どっちが大事かというと、もう家庭です。日本の場合は、会社と家庭とどっちが大事か、人にもよるが会社が大事だということが多いと思います。
こういうことは企業活動を弱体化させる傾向にありますし、失業率も大体ヨーロッパは高いです。昔から10%位はあたりまえで、今、スペインあたりでは2割、3割。アメリカが7%を割って必死にがんばっているが、ヨーロッパはあまりうまくいっていないところがあります。その背景には福祉国家という背景があるからですが、それには触れません。
次に、国別の印象について見ていきたいと思います。EUは28の国がありますが、ここでは、オランダ、イギリス、ドイツについても述べてみたいと思います。
先ずオランダですが、オランダに私は住んでいましたのでオランダの話が出てくるわけですが、オランダはドイツ、フランスにはさまれたベネルクス3国の一つであります。
EUの中でも臍のような感じです。隣のベルギーはオランダ語を話す弟分で、宗教の違いから分かれているだけなのですが、ベルギーにUEの本部があります。オランダはもともとドイツの北の辺境にあって、ライン川が北海に注ぐ辺りのデルタ地帯です。その辺りは低地ドイツと呼ばれており、言葉も低地ドイツ語と呼ばれています。低地ドイツ語を話す民族で、また、イギリスとは民族的に遠い親戚のような関係にあって、一部の地方では方言として英語に酷似した言葉を話しています。オランダ人は小学校でフランス語やイタリア語を勉強しますので、ドイツ語、英語、フランス語もこなし、国際性に富んでおり、こうしたことが通商貿易立国の基盤になっています。
また、建前としてですが、オランダ人はドイツ人と日本人を毛嫌いしています。夏になると、ドイツ人はオランダのスヘフェニンゲンなどの有名な保養地に大挙してやってきますが、ヒトラー以来の横柄な占領軍が来て海岸を占領していると陰で悪口を言うのが常です。習い性になっていて、「またあいつらが来て困ったものだ」などと皆言っているんですけれども、日本人についても毛嫌いをしていまして、建前で個人個人はそんなことはないのですが、ご承知のように第二次大戦のころオランダ領インドネシアというのが有りまして、そこを日本軍が占領しまして、オランダ人を捕虜収容所に入れたのですけれど、そのとき女性について慰安婦のようなことをさせたとかいう話がありまして、そのことはオランダの国民の心にいつまでも残っておりまして、「もう時効だよ。もう60年も経って、いいんじゃないかなあ。」というわけにはいかないんですね。ですから、皇太子がオランダに来た時に卵をぶつけられたり、そういうことに時々現れてくるわけです。ドイツ人は、ヒトラーのことを何か言われると、身を小さくして何も反論はしないというのがドイツ人のやりかたですね。日本人は時々「もう時効だよ」というようなことを言うのですが、その辺りはどう言って良いのか判りません。
また、オランダ人はフランス人が来るとナポレオン軍の末裔が来たと、あきらめ顔で迎えるわけですけれども、オランダ人は昔は姓が無くて、ナポレオン占領軍が来たときに、住民の管理のために姓をつけたのですが、占領軍が適当ないい加減な付け方をしたので、今でもオランダ人の姓は、もぐらとか豚の尻尾とかデブとかヤセとかが、ちゃんとした姓として残っています。というわけで「フランス人はやり方が出鱈目だ」という風に今でも思っているのかどうか知りませんが。
オランダ人が尊敬してやまないのはイギリス人です。似たような小さな国ですが、世界に冠たる銀行などを持って、独立性を保っているということがあります。
そういうオランダ人は周りの国から馬鹿にされています。商売にたけていて。また、外国人をオランダ人は排斥しませんので、ユダヤ人がいっぱいいるんですね。ユダヤ人だらけみたいな。今、ニューヨークがジューヨークと言われていますが、ニューヨークは前はニューアムステルダムと言われまして、オランダ人のエリアだったんですけれども、その当時からユダヤ人はオランダにしっかり根付いているということがあります。アンネ・フランクという人は有名ですけれども、そういう環境にあるから、ダッチアカウントとか、ダッチワイフとか、ダッチオークションとか、せこいという意味のダッチを付けたお金にまつわる悪口が数限りなく有ります。それから最後にオランダ人の特徴的なことは、規則の適用を緩くすることが善であるという考えを持っていまして、マリファナとかポルノとか女性特有の職業を厳しく取り締まることはありません。全て緩やかな雰囲気を保っています。
次にイギリスですが、意外なことに、イギリス人は「自分たちはヨーロッパ人ではない」と考えています。ヨーロッパ人というのは大陸ヨーロッパ人であるとして一線を画しています。例えば、車の通行方向は左側で、日本と同じです。時差は1時間有ります。大陸ヨーロッパより1時間遅いんです。寸法の測り方が、大陸ではメートル法でグラム、センチで統一しているのですが、イギリスではいまだにヤード、ポンド等でやっています。その理由は説明すると長くなるから話しませんが、さらに日本人にとって困惑するのは、なんと英語が通じにくい国なんですね。ロンドンの訛りのコクニーは、少なくとも日本の学校で習う英語の発音とは違います。ちょっと離れたリバプールはリバプール訛りがありますし、スコットランドはスコットランド弁。イギリスというのは小さな国なんですけれども、方言だらけなんですね。日本でもそうですけれども、30kmくらい離れるともう別の方言が話されていますので、歴史の長い国というのは皆そのようになるのかも知れません。しかし、後で判ったことなのですけれども、南部のドーバー海峡に面したブライトンやサザンプトンあたりは、標準英語をしゃべる地域なんです。どうりでその辺りに外国人向けの英語学校が有ります。私の娘もそういうところへ行ったので判るのですが、世界中からたくさんの人々が学びに来て賑わっています。それがまさしくイギリスの唯一の産業として栄えているという感じです。今やイギリスには、産業革命を起こした国でありながら、主だった産業はそのままの形では残っていません。ほとんど倒産するか外国企業に買収されてしまいました。ウインブルドン現象が徹底しています。これは国の政策もそのような方向でやっています。他人の褌というか、外国企業が活躍しているというか、場所はイギリスという場所を提供して、中で動いているのは皆外国企業であるということになっています。
次にドイツですが、今やドイツはEUの代表選手で、圧倒的に他を離しており、これはひとえに産業の競争力というか、物造りに優れているためですが、結局ドイツ人のきっちりした性格の他に、技術教育によるものかも知れません。下はマイスター制度から、上は工科大学まで、レベルの高い技術者が潤沢にいます。彼らは社会的にも尊敬を受けています。誇りを持って仕事に取り組んでいます。当然優良な製品が生まれます。メルセデスやBMW等々を見れば判るわけですが、これに対しイギリスでは工学や技術系の学校は職人のものであるとして、低く見ていることがあります。工学部を出ても尊敬してもらえない。オックスフォードとかケンブリッジは、物造りとは関係なく、人文科学とか自然科学の関係を価値あるものと考えているわけです。技術屋さんは全然尊敬されないです。物造りはどうしても弱くなります。一方ドイツでは、工科大学卒の技術者と会うと、誇り高き工科大学卒としてタイトルを誇らしげに名刺に書いています。技術を軽視するかどうかも色々議論の分かれるところかも知れません。
それでは最後に、私の駐在員生活にまつわることを述べてみます。赴任しますと住民登録や労働ビザ、運転免許証や住まいの手当てなど煩雑なことがたくさん有りますが、子供がいる場合は学校を決めるのが大変です。選択肢として、日本人学校とインターナショナルスクールと現地校と三つあるのですが、現地校を選択する人はほとんど有りません。私の場合は、息子は日本人学校に行きまして、娘がインターナショナルスクールに行ったのですけれど、日本人学校の場合は、スクールバスが来て、日本人ばっかりの学校で日本人の先生が日本の教科書で、丸ごと日本の小学校を向こうに持って行った感じでやっておりまして、終わるとスクールバスで帰ってきますので、現地の人と触れ合う機会がほとんど無く、土地の人や文化、社会に触れるチャンスがあまりにも少ないので、ちょっとこれは問題だと思います。一方、インターナショナルスクールは、その名の通り世界各国からの子供たちが来ていまして、親がオランダに駐在していてその子供達が来るわけですけれども、英語で授業がされて、色々な国の人と知り合いになれて、娘は非常に喜んでおりました。
それから衣食住の細かいことですが、食べるものは大体日本食を食べていました。日本食材屋がありま
して、ちょっと割高なのですが、大体何でも買えます。米は特に安くて、カリフォルニア米という安くておいしい日本人がカリフォルニアで作った税金のかからない米がありますけれども、あとはもう、日本のスーパーマーケットに有るようなものが、冷凍して飛行機で持ってくるせいか値段が高いのですが、何でも揃います。もちろん、肉とかハムとか牛乳、じゃがいも等は、オランダが本場でありまして、日本よりも質の良いものが安く手に入ります。地元の人が好んで食べるニシンの酢漬けとか、各種のチーズが有りますが、慣れればなんのことはなくて、納豆を外人が食べられないといっても慣れれば食べられるのと同じように、慣れの問題かと思います。食べるものに関して不自由なことはほとんど有りませんでした。
しかし、着るものについては難しくて、地元で買うことはほとんど不可能に近かったです。オランダ人は180から190位、背の高さがありまして、男の人は、長身の人は別ですが、合うものが有りません。うちのかみさんなどは、時々子供服を買ってきて間に合わせていました。住まいは、アムステルダムは一軒家は許されなくて、アパートに住んでいるのですが、家の中をピカピカにする競争をやっていまして、どこの家もピカピカピカピカと、少しノイローゼになるくらい、日本人はあんなにやらないですが、向こうの人はとにかくピカピカにします。台所までピカピカにしまして、火を使うと台所は汚れますから、1日に火を使うのは1度くらいということもあります。なぜそうピカピカにするかというと、人を呼ぶと必ずどの部屋も見せて歩くわけですね。寝室からトイレから台所から、見せるためにピカピカにしているのかなあという感じがしないでもありません。日本人にはそういう習慣はありませんのに、トイレまで見せますから。
最後に、結論をちょっとだけ申し上げますと、ヨーロッパは今でも中世を引きずっているところがあります。ヨーロッパの街並みを見ますと、どんな村や町でも中心には教会がそびえていまして、周りには古い街並みがしっかり残っています。人々の考えも同様に古いものを守っている傾向にありますが、近代化が必ずしもスピーディーにはいきません。夏は結構暑いのですが、クーラーなんて無いですね。ただ我慢して昔の生活を守っています。ヨーロッパから伝統をとってしまうと何が残るんだろうか、何も無くなってしまうのではないかと彼らも危惧はしていまして、何とか守ろうと我慢しながら守っています。近代化と伝統の葛藤があります。一方、日本は明治維新と第二次大戦の後、すっぱり伝統を捨ててしまいました。こんなに見事に捨てた国も無いのではないかと思いますが、一直線に近代化に進んで参りました。しかし良く見ますと、伝統的なものはしっかり残っていますので、もう少しそういう面に光を当てて、現代的なものと調和を図っていく必要があるかも知れません。そうでないと、ヨーロッパの人間は日本には何の魅力も感じないと思います。
以上で時間となりましたので、終わらせていただきます。