活動報告

<卓話>「歴史にみる日本の女性 」

<卓話>「歴史にみる日本の女性 」

元主婦の友 社長 村 松 邦 彦 様

20131129.jpgただいまご紹介に預かりました、村松でございます。ちょっと風邪を引きましてお聞き苦しいところもあるかと思いますが申し訳ございません。

 女性のことを研究しようと思ったのは今から30年くらい前です。台湾の政府から日本の女性について話を聞かせて欲しいという要請があり、文科省と外務省から主婦の友が相応しいのでしかるべき者が台湾へ行って話しをしてくるようにとおおせつかりました。その結果、私に白羽の矢が立ちまして台湾へ講演会に行きました。対象は日本に留学している方々、日本へ留学経験のある方々の約500~600人でした。

 それまで主婦の友という出版にいたのですが、女性に詳しいわけではございませんでしたし、女性を研究するなんて考えてもいなかったんですけど、そのことを契機に女性のことを勉強し始めました。そうしますと、日本の女性は世界に類を見ないくらい非常に優秀で強くてしっかりした民族であることがはっきり実証されております。特に、日本は母系社会で母親中心の社会を築いておりましたけど、歴史的にみると縄文文化から始まって一万数千年になりますが、男性社会として男が強い時代は江戸時代から大正にかけてのわずか400年くらいのもので、それ以外は圧倒的に女性が支配していたことが歴史的にわかります。これは、テレビの八重の桜の話をしてもそうですが、歴史の裏では女性が男をコントロールしながら日本の政治、経済、文化が展開され、特に文化をみると世界に類を見ない源氏物語、枕草子も女性の作品です。平安時代の文学はほとんど女性が中心でした。そのように女性の力は非常に強かったわけです。縄文文化、弥生時代、何故女性が強かったのかというと女性は巫女さん、神子と書いていたのが巫女となるのですが、女性が采配権を振るっていたからです。何故采配権を振るっていたかというと、一つは神の祭事をする権力を女性が握っていたということ。また一つは奴婢、奴隷を雇う権利を女性が持っていたこと。さらに一つは男が狩猟から持ってきた獲物を貯蔵して分配する権利を持っていたこと。この三つを握られていたら男は頭があがりません。代表的だった卑弥呼は巫女として社会を統治していました。卑弥呼が亡くなった後国が乱れた時、男王に代わり13歳の「いよ」さんといったでしょうか、その子が即位したら国が治まったということもあります。当時は男を選択するのも女性が権限を持っていました。そして、女は神が座る北に座って男を右と左において今晩どちらの男と過ごすのかといったことも女が選択していた時代でした。それが右大臣、左大臣という名前になったぐらい男というのは女の下で、いわゆる女に選択されていたというのが日本の社会の実態です。女性は常に北に座っておりましたので、北に座っている女性は北の方とか北の政所とか言われ、その後、権力の強い女性についてはそういう称号が女性に与えらたわけです。北の政所、北の方というのは、ねねさんですとか政子さんで女性の権力者が常に北に座って男を采配するという象徴になっているわけです。

室町時代まで女性はどのように表されていたかいいますと、宣教師が日本に入ってきたのは1549年キリスト教伝来の年です。宣教師が日本風俗、女性の生活、子供達がどういう社会構成になってどういう生い立ちで日本の家庭ができているかということを国に報告しています。ルイス・フロイスというポルトガルの宣教師がいたのですが、この宣教師の報告をみますと日本の女性というのはびっくりするくらい行動的、活動的であると記されています。具体的にみると日本の女というのは、処女の純潔を重んじない。ヨーロッパはカトリックなのでそういうことはないんです。そして、妻が夫に高利でお金を貸付ける。妻が財産、生活の紐を握っている。意のままに離別する。日本は堕胎は普通である。自由に出かけて男と交わる。日本の女はどうなっているのだという記事がでています。これが江戸になると、がらっと変ります。日本の女性は謙譲の美徳があって貧にも耐えることができるような素晴らしい女性に変ってきています。これは江戸時代は、男性社会になり女性が自由にならなくなったからです。武家社会になり、初めて女性が閉じ込められてそういう結果になるのです。それまでは、女性は非常に解放的で、有名な話として、日野富子さんが応仁の乱の時に金を多くの武士に貸付けました。最終的にはそのお金が生き、借金棒引きにして、みんなを国に帰らせ応仁の乱が終わりました。日野富子さんにあるように一般な家庭もそうですが、男が全て女性に対して頭が上がらない状況というのがずっとあったのです。日本の社会というのは女性がずっと権力を握っていた。テレビでも女性がクローズアップされています。昨年、一昨年でしたか大河ドラマ平清盛の中で滋子が後白河に嫁ぎましたが、平清盛の正妻の時子さんの腹違いの妹で、絶世の美女と言われた方です。この方は平清盛が横恋慕して自分のものにしたかったのですがふられたわけです。その方が後白河の御供になった後、平清盛を大事にして結果的に清盛があれだけの地位になったと、まさに滋子さんのおかげです。滋子さんが亡くなった途端、清盛と後白河は確執がでて政争に巻き込まれていくんです。滋子さんが生きていればああいうことはなかったろうと思われます。平清盛をあれだけ支えた滋子さんは、やはり女性として男を上手く使っていったということがいえるんだと思います。

その後、関が原の戦いの時に北の政所のねねさんが家康についたという事が家康が東軍として勝利し、ねねさんが西についていたら政権をとることができなかったということははっきりしています。

明治に入る時には篤姫が、江戸城に上がってきた西郷隆盛に切々との願いで江戸を戦場とすることを避けたわけです。これは勝海舟の力もあったわけですが、篤姫の切々たる手紙での変化でもあります。偶然、その手紙が逗子で出てきました。逗子は、薩摩の別荘があった所で東郷平八郎元帥他いろいろな方がその別荘で生活をしておりました。どこからその手紙が出てきたかはわからないのですが、その手紙は逗子からでてきたと言われております。

江戸に入ってからも江戸を仕切っているのは女性でした。男というのは遊郭にいったり仲間内でぶらぶらしておりました。北前船に乗って商圏を支えていたのは女性です。江戸時代の女性の活躍は歴史の中に現れていますので、研究すると大変面白いとことがいっぱい出てきております。

ロータリーが男社会で女性がとても少ないというのは、ロータリーの発祥から始まっていると思います。アメリカは本当に男社会です。ヨーロッパも男社会です。男がめちゃめちゃ強い社会です。日本は、先程言ったとおり女性社会、農耕民族ですから女性社会。狩猟民族は男性社会です。それでも農耕民族の中でも日本の女性というのはまた格別に強いということが実証されています。したがって、皆さんが女房と喧嘩をしようと思っても絶対に勝てませんから。日本もやっとこれから女性の社会に変っていくだろうと思われます。これは体育系の女子をみていただけると日本の女性というのは凄く強いです。体もしっかりしてますし、世界の女性と伍してやっていける。またあと50年もすれば日本の女性はありとあらゆる競技の中でトップクラスになるのではないかと思います。例えば、ソフトボールとかバレーボールとか強いのですが、もっともっと強くなっていきます。おそらく日本の女性が世界の女性をリードしていく時代がいずれ50年、100年でくるだろうと、というのは今まで女性は虐げられてきた。特に明治時代は男の社会ですから2号をもとうが3号をもとうが、女性は何も言えなかった時代です。明治というのは男の社会の中で図抜けて強い時代でした。これは富国強兵でとにかく男が前面にたって強い力を発揮しなければならない時代でした。それでも女性の手のひらにのせられていた明治の方々は沢山いらしたので本当の意味で明治は男が強かったのかというとそうでもないです。これから、日本の社会は女性の社会になっていくであろうと。

先程言いましたように1万年も女性社会が続いてきたわけですから一旦男性社会になっても直ぐに女性社会に変っていくだろうと思っております。

明治から大正にかけて女性解放運動というのが、平塚雷鳥さん、市川房枝さんですとかいろんな方々が女性解放運動をなさって日本の女性の地位が向上して来ました。ただ社会の仕組みではまだ男性の社会の仕組みになっています。したがって女性の投票率でも百何位となっていますが、これは女性が出てくることを男が恐れているというふうに思っています。女性を本当の意味で力を発揮させていけばあっという間に女性が指導権を握っていく時代に日本もなっていくことがうすうすわかっているから男は必至になって自分の力を手放さない。これから会社を経営していくには女性をいかにうまくつかっていくかということを考えていかないといけない、結果的に男に頼っていると難しい時代になっていくだろうと思われます。女性というのは、知力、胆力を持っており日本の女性は素晴らしい能力を持っているから、それを発揮できる環境をどう作っていくかということが必要だと思っています。

先程申し上げたように時代の節々には女性はしっかりと君臨していますし、日本の社会というのは女性が台頭することによって時代の流れがどんどん変っていきますから、是非、皆様もそういったことを考えていただければと思います。

日本の現代の女性をみてみますと男性が女性を甘やかしているということがあるにはあります。というのは、世界的に見ても若い女性がヴィトンのバック、シャネルのバックをもったり、フェラガモの靴を履くことは、世界を、ヨーロッパを見てもそのような事はありません。ヴィトンのバックを22,3歳の女の子が持っているということはヨーロッパ、アメリカの人々は日本というのはどうなっているのか、何で若い女の子があれだけ闊歩しているんだと疑問に思っています。これについては、私が台湾に日本の女性について話に行った時に随分言われたことでした。どうして銀座のお寿司屋に若い女の子がお寿司を食べに来ているのか、あんなことは考えられない、お金はどこからでいるのかということを、しつこく聞かれました。どうしてあんな高い物を持っているのか。多分、親が買い与えているのでしょう。亭主の小遣いは、せいぜい3、4万円だけど、若い女の子は給料を全部好きに使って、10万も12,3万もお小遣いにしているからそういう結果になるのでしょう。台湾は全部共働きで必ず家にしっかりとお金を入れていますので、日本のようにパラサイトの女性は非常に少ない。日本もこれから考えていかなければいけないのは、男親は娘に非常に甘いわけです。娘がやっていることを全部許してしまう。逆に息子に母親が非常に甘いということもあります。こういうことは動物の社会ではないことなんですが、こういう席上でお話していいかわかりませんが、母子相姦が日本の社会ではけっこうあるんです。母親は息子がかわいいから、息子が一人でいることがかわいそうだということもあってのことですが、これは動物の社会では絶対にありえないことなんです。ヨーロッパをみてみるとヨーロッパは全て父子です。母子で関係をもつことではなく、父親が娘を犯すということ、父子相姦はいっぱいあります。動物の社会、サルの社会もそうですがボス猿が自分の娘を犯すということはあるのですが、母親が息子を犯すということはないです。これは何でか。10年位前に慶應大学の方と対談の中で、やはり母親、母系中心の社会が日本の特色を出してきているのだろうという話をしたことがあります。日本の女性は、世界に例をみない強くて逞しい。そして、家庭あるいは社会をしっかりと牛耳って行くことができる力量を持ったのが日本の女性です。ですから、これからは皆さんも上手に女性をお使いいただいて優秀な人材ですから上手くコントロールしていかれることが必要だと思います。奥さんとはくれぐれも揉めずに仲良くやっていただかないと途中で捨てられるということもございます。最近、シニアの離婚が凄く増えています。日本も離婚が増えていると言われますが、実は、明治の方が圧倒的に離婚率は高いです。明治、江戸時代は男から三行半と言われたのですが実は女性から三行半を突きつけられた男性の方が圧倒的に多いです。これからは、男が捨てられる時代になってきますから。最近の男は弱いですよね。直ぐ、昔の彼女に未練を持って刺し殺すとか平気でやるんですから、こんなことは昔なかったです。ということは男が未練をもっていて、女は自由に次から次へという発想で自分を大事にしていくことで、いろいろと割り切り行動していきます。日本の男は割り切れないですね。捨てられたら捨てられたで割り切ればいいのですが、割り切れずにいつまででもストーカー行為をして最後はあのような事件を起こすということになります。

これから息子さんたちを育てる時には、しっかりとして男の息子を育てていくことが大事だと思います。最近、お医者さんが、この横須賀ロータリーも沢山お医者さんがいらっしゃいますが、男の精子が非常に薄くなってきたとよく言っております。昔から比べると10%、20%も。男らしい男が少なくなってきている。ですから、きちんとした子孫を残していくには男らしい男をつくっていく、それが逆に言うと江戸や明治のようにもう一回男社会にしよう、といっても無理でしょうけれど、少なくとも精神的には男がしっかりとした精神をもって子育てをしていくことはこれから必要ではないかと思っています。

もっと、もっと、いろいろなお話がしたかったのですが、声がでなくて、申し訳ございません。これでお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

<閉会・点鐘>  13:00 吉 田 会長

                                  週報担当  長 坂 利 広

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