活動報告

<卓話> 「 異文化接触における規範意識 」

外国人と気持ちよくお付き合いするために

国際交流基金日本語国際センター 所長 西 原 鈴 子 様
20120720.jpg どうぞよろしくお願いいたします。
 すごく難しそうなタイトルをつけてしまいましたが、副題は「外国人と気持ちよくお付き合いするために」としました。副々題として「国際的に活躍する第一歩は、奥様又は旦那様に愛していると口に出していうこと」というお話をさせて頂きます。
 日本人が国際的に活躍することが頻繁に行われるようになっています。皆様の中にも出張で海外に行ったり、外国人の方とのおつきあいを日常的にされている方が多いと思います。そのような中、頭が日本人のままで外国に出ていくという事があると、それによって不具合が生じることを経験されたことがあるのではないでしょうか。
 コミュニケーションというのは、人と人が言葉やしぐさで接触するということですが、時々「日本人ジョーク」のようなものが国際的なジャーナルなどに紹介されることがあります。
ひとつはロシアの大統領が「日本人のYESはNOだから気をつけろ」と言ったというものです。私達は「はい」をいろいろな意味で使っていますが、外から見るとあやしい、本当はいいえの意味ではないかと疑われ、ロシアの大統領がわざわざ「気をつけろ」と言ったという話があります。
 中国の首相が日本人に会いたがらないというのは、日本人は前置きが長すぎてすぐ本題に入らないから時間が無駄になる、韓国人のほうがよっぽどつきあいやすい、と言ったそうです。
 ロンドンの空港で重い荷物を運んでいる日本の婦人が、手伝ってくれたイギリス紳士に英語で「Iam sorry. You are so kind」と言ったところイギリス紳士はびっくりしました。皆さんよくおわかりだと思いますが「すみません」と言ったわけですが「sorry」ではなくここは「Thank you」というべきであったわけです。日本人は感謝と陳謝の気持ちで言ったのでしょうが、「Thank you」と「sorry」は違うのです。
 これはみなさんよくご存知のジョークですが、沈没する船の船長がイギリス人には「紳士だろう、飛び込め」ドイツ人には「規則だから飛び込め」と言えば良いと言います。日本人には「みなさん飛び込んでいますから、あなたも飛び込んでください」と言えば日本人は必ず飛び込みますというものです。
これらのことが取沙汰されるというのは、外から見るとこのようなジョークになることが多々あるということです。なぜそうなるのか、というと外国語で話していますが頭は日本語のままで話しているからなのです。
これは日本人がそうするだけでなく、アメリカ人も中国人もそうします。
 私は長く教師をしていましたが、ある中国人の留学生に授業の後で「先生は今日とても上手に教えました」と言われました。私は教師に対して失礼な言い方だと思いましたが、中国語では最上級の謝辞・賛辞にあたるそうです。そのように言ってくれるのは嬉しいのですが、彼は中国語の頭のまま日本語を話しているわけです。それを説明するためのキーワードが「言語転移」といいます。言葉の研究の世界で「転移」というのは、自分の母語の頭のまま、母語のコミュニケーションでは適当なまま言葉で言ってしまうことを転移と言います。私達の日本語が、少し習った英語やフランス語風になる、フランス語っぽく日本語を話したりすることを「借用転移」といいます。さきほどからエピソードとして話していることが「期間転移」と言います。
 日本人が外国語で不思議に思われることが、あまり積極的に喋らないという事です。国際会議における議長の役割は、というジョークでは「インド人をだまらせ、日本人に話させること」とあります。日本人は国際的に口の重い民族とありますが、なぜそうなるかと言うと「高文脈」と「低文脈」のコミュニケーションがあります。日本人同士はわかりあっていることは言わないほうが良い関係、言う必要がないほうが良い関係と考えがちです。これを文脈ということで言うと、伝えること10のうち言葉にすべきことが3から4、言葉にしなくてもわかることが7くらいということです。冒頭私が副々題と申し上げた「みなさん一日何回愛していると言いますか?」という質問ですが、みなさん1日何回奥様や旦那様に口に出して愛してると言いますか?結婚する時に言ったかな、ですか。それはどういう事かと言いますと「そんな事はいまさら言わなくてもわかるだろう」ということで、これが我々の良い関係です。今さら言う必要もないではないか、というのが良い関係です。
 ドイツ人と結婚した友人は一日に35回くらい愛していると聞くそうです。口癖のように言うそうです。ドイツ語は説明の言語なので、10のうち9言葉にする低文脈の文化なのです。「言わなければ思っていない」という約束事の文化です。
 日本とドイツが極になって、間にはイギリス英語は日本寄り、アメリカ英語はドイツ語寄りです。
日本人は言う必要がなかろうと思って言わないことが問題になることがありますが、ある社員が外資系の会社で働いていて課長の意見に「賛成」と言って、その後議論に参加しなかったそうです。ミーティングの終わりに課長から「なぜサポート意見を出さないか」と言われましたが「賛成」と言ったので十分伝わったと社員は思いました。これが高分脈と低分脈の違いです。
 ポライトネスという言葉がありますが、日本人は気配りの民族です。日本語の敬語は「相対敬語」と言われるものです。韓国語は「絶対敬語」です。
 例えば私は飯塚会長に30年くらいお世話になっておりまして、家の中の電気製品全部飯塚先生からという感じなのですが、親しい友人には「親しい出入りの電気屋さん」というかもしれませんが、飯塚先生に向かっては敬語を使いますよね。日本語で親しい人に話す時、第三者的にはあまり敬語を使わないほうが良い関係です。
 会社の受付で「課長さんいらっしゃいますか」と言われると日本語ですと「課長はおりません」と言わなければなりませんが、韓国語ですと「課長様はいらっしゃいません」と言わなければなりません。韓国語では一度敬語を使う関係であれば、全て敬語を使うのです。
 例えば韓国人が夫の務め先に日本語で電話をかけてきて「朴でございます。李さんはいらっしゃいますか」と聞きます。「夫はおりますか?」と聞かなければならないのに、韓国語の頭で日本語を話しているわけです。受けた日本の同僚はまさかご主人に電話しているとは思いませんよね。ひとつには韓国では結婚しても姓を変えないので別姓です。又、私が「斉藤でございます。(夫の)西原さんはいらっしゃいますか」と夫の事を言えば、大抵「物を知らない妻」というように思われるわけです。ですが、韓国側から見ると日本人は日和見で表と裏があると思うわけです。そのような些細な常識の差が「だから韓国人は嫌い、日本人は嫌い」と言った悲劇が起きるわけです。
 自己開示、についてですが、日本では自分について多くを語らないことが慎ましく謙遜なことだと思われますが、年齢や既婚や未婚など自分の事をあまり話さない、話すとしても時期は暗黙のルールがあります。
中国人は平気で年収を聞いてきて、その人の判断材料にします。
 調査の結果、日本人は自分のことを語らない、という風に出たわけです。外国人のつきあいの中で留学生は日本人に対して「どんなに長くつきあっても友達になった気がしない」という寂しい結果がでました。どうしてかというと自己開示しないからです。日本人は「まあまあ」と言ってその場を収め深刻な話を避けたがるようで、つきあいにくいと思われているようです。
 外罰的、内罰的反応という言葉がありますが、これも国際比較の調査があるのですが日本人に多いのは「内罰的反応」で、損をします。謝ったほうが負けます。日本人はとりあえず謝りますよね。どんなに多額の賠償金より謝罪が大切、という事があります。
又、「スクリプト」というものがありますが、勧誘の場面で否定的な条件を言って断りやすい雰囲気を演出する日本人の相手を慮る気持ちですが、そのまま英語の頭で聞くと「日本人は断らせたいのだ」と思われてしまうわけです。
 言葉ができるようになっても、頭が日本人のままではだめで、文化的に翻訳されなければ駄目なわけです。
異文化トレーニングについてお話しますと、外資系の多国籍企業には日本語トレーナーというカウンセラーの方がいます。疑似体験を沢山させて、実際に物事が起こった時に慌てない、がっかりしないというロータリークラブの精神のようなものがそこに書いてあります。国境を越えた方達とおつきあいをする、ということを考えてあらかじめすぐには腹を立てない、がっかりしないという疑似体験をして訓練する、という事をしている人もいるという事をご紹介して話を終わらせて頂きます。
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