活動報告

<卓話> 銀座緑化コミュニティの夢

<卓話>「 銀座緑化コミュニティの夢 」
                             一般社団法人 銀座社交料飲協会
                            銀座緑化部長 白 坂 亜 紀 様
 皆さんこんにちは、只今ご紹介いただきました白坂と申します。
2012021001.jpg 私は大分県の竹田市と言う街で生まれ育ちました。竹田市は山の中なので九州でも大変寒い厳しい環境でありました。その後、早稲田大学をめざし何とか合格して、大学生活のため、大都会東京に上京してまいりました。その大学生活を過ごしているときに、友人のお母さんが私のお店にアルバイトに来てくれないかと言う誘いがありました。友人のお母さんは日本橋でクラブを経営しておりましたが、当時は不動産バブルの真っ最中と言うこともあり、忙しくて女子大生の手でも借りたいと言うような状態でした。その時に、大学の友人を何人か誘い、そのお店で女子大生ママをさせて頂き、その後独立して、銀座でクラブ・BAR・料理屋を経営する事となりました。その銀座での仕事の中で、銀座社交料飲協会の方たちとの出会いがありました。銀座社交料飲協会とは、銀座の料理屋・BAR・クラブをされている方の集まりで約1700店舗ほどの方がおります。その中で私は銀座緑化部長と言う役目をさせて頂いております。銀座で緑化と言うと何の事かとよく質問されるのですが、今日は銀座緑化活動と養蜂(銀座ミツバチプロジェクト)、そこから発信する中央区の街づくりと活動についてお話をさせて頂きます。
「銀座里山計画」という話を、ある日突然私は聞かされました。銀座ミツバチプロジェクトの代表の方々が、夕刻、私の経営しているクラブへといらしたのです。銀座でミツバチを飼って、ハチミツが採れたということは知っていましたが、その事と私に、何の接点があるのか?疑問と驚きで、お話を聞きました。ミツバチが飛ぶことで、植物の交配が行われ、農作物が正しく実ることが出来ます。もし、そのミツバチが地球からいなくなったら、人間も動物たちも生きて行くことは出来ません。ところが、世界中でミツバチが姿を消し始めていました。強い毒性のある農薬等々の影響ではないかと囁かれている時期、まさに、銀座では元気にミツバチが飛んでいることで、それを証明することになりました。銀座周辺は人通りが多いために、街路樹等々に農薬散布を行っていないからです。養蜂を始めたのは、銀座の旦那衆の遊び心からだったそうですが、銀座でミツバチが飛べることから、もっと環境について考えて行こうと、活動が大きく広がり、多くの方々が集い始めました。そして、銀座の屋上を緑化して、そこで農作物を育てることも始まり、そんな銀座の街の活動に、夜の蝶たちにも参加してもらいたいという、またまた、旦那衆の遊び心?で、私にお声が掛かった訳です。
2012021002.jpg日が暮れてから、主に活動を始める私たちに、場所は銀座とはいえ、太陽の下で農作業なんて出来るのだろうか・・・そんな不安をよそに、多くのママ、ホステス、バーテンダーたちが参加してくれました。裸足になって土に触れれば、すっかり童心に戻り、日頃はライバル同士のママたちも、あっと言う間に打ち解けて、話が弾みます。そして、ついに、昨年、銀座社交料飲協会創立85周年を機に「銀座緑化部」が立ち上がりました。単に緑化するだけでなく、いろいろな地域の名産を育てて、地域のPRもしようと、新潟の茶豆、福島の菜の花、大分のカボス、徳島のスダチ、高知の生姜・・・と、様々な地域と繋がりが出来ました。その収穫祭には、市長さんや、県関係者も参加し、豊かな人間関係が育まれています。銀座の緑の里山は、まだまだ時間が掛かるかもしれませんが、人間関係としての里山化は、着実に広がっています。銀座は世界に誇る食の街。天才シェフやバーテンダーさんたちを、地域に案内し、伝統食や、地元の素晴らしい食材を再発見するという活動も始まっています。地域の農業生産者と料理人が直接付き合うことで、「食の安全」という、銀座の新たなブランドを発信することも出来ます。大都市でありながら、地域と繋がり、環境、農業、食の問題を発信する銀座は世界中で最も、進化した都市の姿と言えるのではないでしょうか。そんな世界最先端都市「銀座」を目指して、これからも、楽しく活動して行きたいと思います。
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