活動報告

卓話: 「輝ける熟年 ~ 人生の総仕上げ期 次世代育てにやるべきこと」 

有限会社オフィス・ミヤジン 取締役・家族問題評論家 宮 本 まき子 様
はじめまして、宮本まき子です。最近の講演で評判が良かったものをお話ししたいと思います。皆様のお役にたてれば幸いです。今日のテーマの「輝ける熟年」は、私の出した本の題名です。震災の経験を経て、仕事を辞めるのを辞めました。私たち熟年は、「そんな簡単に自分の定年を自分で決めてはいけない、これからは社会にお返しする年齢なのだ。」と思い、書いたのがこの本です。ちょうど私は団塊の世代、昭和22年生まれです。「横須賀」も米軍の将校がたくさん居て、半分「アメリカ」のようなこの街で生まれ育ちました。
で、団塊世代の反省は、ジュニア世代を育てそびれたこと。本来やるべきだったのは、私たちの上の世代、明治、大正、昭和(戦前)生まれの人たちの価値観を伝えていくことであったのです。新しいアメリカの考え方が正しいと思い古い価値観を捨ててしまったこと、が過ちでした。
 たとえば、子育ての失敗例としては、
・「自分が本当にしたいと思うことをやりなさい」と言って100万人のニートをつくり出した。
・「消費は文明だ」として朝シャンが定着し、使い捨てが横行。もったいない思想をアフリカから逆輸入。
・サバイバル力は低下し、ケータイとコンビニがないと生きて行けない子供にしてしまった。
「古くさい」とか「貧乏くさい」とか「もうそういう時代ではない」とか、勝手に思い込んでしまったのが失敗だったのではないでしょうか。
 心理学を学んでいれば必ず習う「マズローの欲求の階層」では、欲求はだんだん階層をあげていきます。まずは「食べさせてほしい」という生理的な欲求から始まって、次に「安全に守ってほしい」。それがかなうと「皆と仲良くしたい」「愛されたい」「皆から褒められたい」。そしてそれらが満たされると、自分自身の夢を見る、という成長欲求という最後の階層。「こんな風になりたい」という思いです。
この階層へは自尊心を持った子だけが実現できる。自尊心がない子は向上心やおとなになる夢がもてない。しかし、日本の10代の3人に1人は「自尊心がない」「自分はだめな人間だ、必要のない人間だ」と思っているようです。これがニートを産んでいることになります。
今の子はあまりに隔離されて育ったため、褒めてくれる人がいない。褒める人の人数が圧倒的に足りないのです。ですから、「両方の祖父母そしてその友達、全てを動員して褒める」、これが私の提唱する「孫育て」理論でして、最近はマスコミからかなり取り上げられています。このままでは、知恵や伝統、文化、サバイバル力など、いま伝えないと次世代では完全に消滅してしまう。ケータイとPCから全て答えが出てくると思っているのです。
今の家族形態は、核家族ではないと思っています。「近居家族」が出来上がっている。統計によれば、1時間圏内に親子が住む「近居家族」は51%、同居率と合わせると75%近くが、同じ地域にいわば「長~い廊下でつながっている家」に住んでいるのです。なぜこうした形態が増えているかは、「近居が理想の距離」と考える人が多いこと、そして「孫がかわいい」というか「子供たちの育児手抜きが見てられない、手を出してしまう」人が増えているからでしょう。神戸では、空き家対策として自治体が補助金を出し、「近居」を奨励しているところもあります。子育て中の女性の半数以上が両親に孫育てを期待しています。専業主婦の方が期待率は高いくらい。子育て中、全く会わない女性は10%より少ない。
ただ、この近居家族は危険な関係です。なぜならば近居の理由が「金づる」なのです。子供のほうが擦り寄っている。親の援助に強く期待しているからです。双方の親が近居していると、親の援助額は年間平均45万円。ローン、家賃、生活費。親は自分の老後資金を削っている。親の財布は自分のもの、「遺産の前渡し」だと思っており、親のありがたさは分かっていないのです。もう少し話を進めます。
メラビアンの法則では、コミュニケーション情報は、メール・DMなど文字情報ではわずか7%しか伝わらない。しかし、音声の口調や音程では38%、表情やしぐさなどによる視覚情報では55%伝わる。したがって、本心から相手に伝えたいときはかならず会いにいかなければならない。人生の一大事、プロポーズやしくじって謝るときなど。かならず直接会いに行くことが大事。表情、しぐさ。目の前で土下座して謝ることで、謝罪の気持ちがしっかり伝わるのです。アナログなことが大事なのです。
中学生とかが犯罪に巻き込まれることの要因として、Voice能力が低いことが指摘されています。音声を聞いて相手の気持ちや様子を読み取る力が退化していることにあるわけです。したがって、アナログで濃密な人間関係を実体験させる相手が必要なのです。これがこれからの課題です。
今、家庭内でも同じ家に居るのに親子の会話がラインで行われている。「ごはん食べるの」「今はいい」とか。下から怒鳴ればよい。「早く食べなさい」「わかった」というお互いの声で、雰囲気が伝わるのです。
 私たちは、二世代育児で直接子供にかかわっていきましょう。私たちが、サバイバル力「どんな状況でも生き抜く能力」だめなものはだめということを、シンプルに伝えればよいのです。子供に伝えそびれたものを孫に伝え、残しそびれたものを残していきましょう。
 あと、今日は男性女性たくさんいらっしゃるので、男女共同参画で一番人気のある話を一つします。
 それは、「家族」という言葉が、上の世代と下の世代では大きく異なる、ということです。どこで分かれるかというと50歳代後半あたり。50歳代以上は、結婚後は婚家に溶け込もうという意識があるが、若い世代は、溶け込もうという考え方はない。「私はいつまでも色に染まらない、子供も同じ」。婚家に参加するという気持ちなので、離婚も多い。これが問題なのです。
 中高年以下の女性は、自分を中心に家族を考えています。一番近い家族は誰か。一位は子供。夫がでる人はいない。二位・三位は実家の親。夫はこの辺にちらちら出る程度。長年一緒に住んでいない家族のほうが近い存在。舅姑は夫を通じてつながっているに過ぎない家族ではない他人。家族の概念が違うのです。
 あと一分あるので。
日本の男性の頭の中はダブルスタンダード。「理想の女性は」と聞かれたら、家庭と職場で違うことを言う。一方の世界にいるときはもう一方の世界を置き去りにして自由に行き来できる。
一方、日本の女性は一次元。サンタクロースのように無限に詰め込める袋を持ち歩き、なんでも突っ込んでいく。いつでもどこでも即座に対応できる「歩くコンビに」。年を重ねるごとに袋は大きくなっていくので、重くて中の物を捨てていかなければならない。重くなってから、女性が真っ先に捨てるのは「夫の世話」。ただ、夫ではありません。何故なら女性は打算的なところがありますから。夫は、まだもう少し稼ぐし、年金の半分ではなく、全部を自分のものにしたいから。ここを良く理解されれば、男性の方は自分のことを自分で出来さえすれば、熟年離婚とはならないと思います。今日はありがとうございました。
<第3135回 卓話>
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