活動報告
卓話:<新会員卓話>
卓話:<新会員卓話>
門井宏二郎 会員
みなさんこんにちわ。野村証券の門井です。
今日は新入会員卓話ということですが、私自身の生い立ちと、仕事のことについて少しだけお話ししたいと思います。
私は昭和39年10月23日の生まれです。東京の世田谷の三軒茶屋が両親の実家ですが、駒沢の国立第二病院というところで生まれました。
その日は世界の注目が駒沢に集まっていた日でして、病院の隣には駒沢オリンピック公園がありまして、ちょうど東京オリンピックの開催期間中で、女子バレーボールで日本対ソビエト戦が行われ東洋の魔女が優勝した時でございます。
その当時の三軒茶屋はまだまだのどかで、多摩川通り(国道246)に玉電という路面電車が走っていて、東名につながる首都高速もまだないころでした。その玉川通りに面したところに三軒茶屋映画劇場という古い映画館がありましてそこが私の母方の実家です。私の子供のころはいわゆる3本立てで映画をやっていました。
もう一つ裏通りに三軒茶屋中央映画劇場というところをもう一つ実家でやってまして、当時は日活ロマン○○○を専門にやってまして、ずいぶん友達には冷やかされました。その映画館は当時『太陽にほえろ』の撮影によく使われたりしまして、何度か松田優作さんを見かけたことがあります。
小中学校は世田谷の公立の学校に行きましたが、当時は暴走族が全盛の時代で、そんないでたちの友人・先輩もたくさんいました。三軒茶屋というところは近くに中学校がいくつかありお祭りの時期はしょっちゅう喧嘩があったりしました。ですが今はみんなまじめに仕事しています。
高校から神奈川県の慶応高校にお世話になりました。高校大学時代はマイナースポーツですがハンドボールというのをやっておりました。昨夜は当時の恩師の米寿のお祝いだったんですが、『名選手になれなければ名ライン引きになれ』という方で何かにつけ厳しく指導されました。
大学では監督が『学生スポーツは精神力だ』と言って、今と違って水なんかを飲むのはとんでもないといった感じでした。根性は少しついたと思います。ハンドボールはあまり上手だったとはいえませんが、関東学生選抜というお遊びの遠征がありまして、2メートルもある巨人のドイツ人と試合をしたりしましたが、正直根性だけでは日本人は絶対に勝てないと思いました。
卒業後野村証券に入社しました。最初の配属は京都支店で、当時はまだバブル期で、新入社員の私は毎日『行ってきます』と出かけては、5人の新人で集合して宴会芸の打ち合わせをしておりました。そして夜は合コンのセッティングで、あまり仕事をした思い出がありません。二か店目は高崎支店で、そこで結婚いたしました。その後岡崎・神戸・八王子・札幌・奈良・平塚・名古屋駅前を経て。横須賀に参りました。
仕事を通して思うこととしましては、神戸・札幌のように地元の金融機関が倒産したところの経済は非常に厳しいということです。一方で京都・名古屋のように企業が強くて、株式市場でも値がさ株といわれるような企業があるところでは全く違うということです。値がさ企業の取引先や従業員の方は持ち株会などで株式を持ち、それが大変な金額になっているわけです。余裕ができます。そういった意味で私の夢は、そういった企業が横須賀でも生まれればと思っておりまして、そのお手伝いができればということです。そうすればきっと夜の横須賀も賑わうと思います。
最後に相場のことについて一言だけ申し上げます。
2020年のオリンピックイヤーに向けて、日経平均は30000円、場合によれば40000円と本当になると思っております。横須賀の多くの方が潤って、横須賀がより賑わうことを切に願っております。
<第3131回 新会員卓話>