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<卓話> 和を大切に魅力ある奉仕

<卓    話>       「 和を大切に魅力ある奉仕 」
                   京都洛東ロータリークラブ 会長 宮 下 晃 一 様
20111125.jpg 今年の祇園祭の折に関口さん家族がお越しになり、是非横須賀ロータリークラブの卓話にお越しいただきたい、出張に合わせてでかまわない、負担のないときにといわれこの日になりました。私もロータリーの会長になったところでしたので、会長と云う名がよかったのかなーと思います。会長でなかったら呼んでもらえなかったのかもと思ったりもします。こちらのクラブは本当に多くの会員の方がいてビックリしております。私どものクラブでは平成元年から約35名がチャーターメンバーでおり、すぐに50名ぐらいになりました。私は2月に発足し7月に入会ですから、ほとんどチャーターメンバーに近い状態で活動をさせてもらってます。関口さんに言われどんな話をしたらいいものか、観光の親善大使でもするかな?と思ったり、いろいろ考えてきましたが、やはりロータリアンとしてのいろんな体験とか、はぐくんできたことをお話するのが大切な自己研鑽の場と考えます。
 私は昭和18年生まれ68歳です。友禅師の父の長男として生まれ昭和37年に修行のため京都の老舗千切屋に就職をしましたが、奉公して約1年半で父が病気になり89歳で他界しました。父は友禅が好きで、戦争から戻ってきてから大阪の金属関係の会社にちょっと就職したのですが、忙しくなかなか帰ってこれず私たちがたまに会うと走って抱きついていくという姿に、友禅に戻りたい子供達と一緒に生活したいということだったと思います。そして会社を辞め友禅の仕事を始めました。大変厳しい時代でしたので大変苦労いたしました。
 しかしすぐ戦争時代の病気がもとで染物仕事が出来なくなり、自分の技術を生かしデッサンをしてお弟子さんに依頼するという仕事に変わりました。ですから本当に貧乏のどん底で私も小さかったものですからあまり覚えてないのですが、小学校の4・5年ぐらいから呉服屋の小僧のように手伝いました。千切屋に就職していた短い間に全国の呉服屋さんが、どんなことをしているのかを知りたくて、本当に一生懸命呉服屋さんの名前を覚え呉服屋さんの好みを覚え、東京転勤を願い日本橋のお店に転勤しました。夜行列車に乗り3名の社員と一緒に上京いたしました。すぐ私は銀座担当の方に就きました。就いたというより強引にそうしてその方と一緒に銀座を廻りました。その方はすぐに辞めてしまい、自分で呉服のデザインの仕事を始めて素晴らしい先生になっております。次の課長について廻り始めるとその人も胃潰瘍で入院してしまい、一人で廻らなければならなくなりました。それがよかったのか、何もわからない二十歳前の私が、一生懸命反物を担いで売りに行くのですが、その経験のおかげで小売屋になったときに小売というのはこんな問屋さんがあって、こういうシステムで物が売られ物を買ってもらってるんだと解り、私はその昭和38年代の呉服屋さんのそのままを今やっているわけです。だから今生き残れているのだと思います。職人さんとの会話、そして原点を今やっております。このような仕事のあり方を思うときに、いやーよかったなー、やっぱり自分の進んできたことは一筋に生きてきたからこのことが出来ているんではないのかと思います。呉服屋というのはいっぱい仕事があって、お茶会の手伝いや踊りの手伝いをしているうちに日本の伝統文化のことが理解できたと思います。伝統文化のお手伝いをしているうちに、どっちが本業か迷うぐらい、いろいろ経験をし、人間的な豊かさを身につけるために、私は勉強をしてきたのではないのかと思って今やっております。そして長男が鈴の屋という所に大学を卒業し勤めました。約7年間伊東や沼津・千葉・仙台で修行をし、ぼちぼち帰るっていいました。息子が大学時代にたびたび東京に出てきた折に食事をし、絶対に継ぐ必要はないと言ってきました。なぜかというと私たちの問屋さんで、息子が東京の大学を出て銀行に入って3年ほど数字をみて帰ってこられて、常務とか専務とか副社長とかになり、お父さんが急に他界すると、その会社は1年もしない間になくなってしまうのをずーっと見ているので、継ぐということは根本的に考え方がだめなんで、一から作らなければならないと言ってきました。ただ周りからは家業を継ぐことを進められ、家内にはこっそり大学3年の時に相談していたようです。そして7年の修行を終え帰ってきました。ぜんぜん私とカラーが違い仕入れもしたがり、仕入れをやらせたものは今全部残っております。ただ自分のやってきたことに自信を持っているのでやりたい放題させました。そしてやっと解るのに5年ほどかかりました。私からは知識を教わり、家内からはセンスを教わり、今では本当にうまいこと商売をします。12年経ち今では私の商売を超えてくれました。ありがたいことに会長職に就いたのも、「息子がしっかりしてるんだからぼちぼちやれ」と言われ受けたのですが、本当に会長をやらせてもらってよかったと思います。私と家内の二人しか居ない会社をやってきたものですから全然知らない世界を知るわけですが、こうやって卓話をさせてもらったり、大変やな~と思いながら半年が過ぎて今楽しくなってまいりました。皆さんにも励まされ会長職をしております。こうして私たちの店の地盤が固まってきたのは息子が私の仕事を選んでやってくれたおかげで、信用というものがついたわけです。私は子供や孫で喜ぶ人生って言ったときに子供で喜べるんです。
  (たちばなあけみ)と言う人の歌をご紹介します。『楽しみは・・・・・とき』で終わるのですが、『たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時』『たのしみは三人の兒どもすくすくと大きくなれる姿みる時』。本当に簡単な文章ですが、これを読んで本当にそうだな~っと思いました。孫達もそれぞれ頑張っております。私が出張の帰りに焼津や三河で魚を買って帰ると、みんな喜んで集まってきてくれ、「うましうまし」と言うて食う時ほんまにそうです。そういう気持ちというのは、仕事ばっかりやってきたのではなくロータリーで学んだ奉仕の心、そして皆との親睦の基本を私は育んでこれたおかげだと思います。45歳でロータリアンになり友情いろいろな縁と絆で私の今の人生が支えられています。こういった縁に感謝をし、本日の卓話を終了いたします。
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