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<卓話> 「 ロータリーと私 」

<卓    話>        「 ロータリーと私 」

                                      長 澤 淳 夫 会員

3079.jpg本日はシニア会員卓話のご指名を頂き、20年ぶりのスピーチに緊張しております。私のような老兵の昔話でも「温故知新」の観点から、伝統を大切にする当クラブの活動に寄与することもあるかもしれません。明野会長の新しい試みに敬意を表します。

さて私は、昭和50年12月の入会ですので、この12月で在籍39年となり当クラブでは既にシニア会員卓話を済まされた髙地会員、上林会員に次いで入会順が3番目の古株になりました。しかし最近の10年余りは、家庭上、仕事上、健康上の理由で例会や各種行事を長期欠席しており、現在の会員で私の事を ご存知の方は半分位と考えます。従って今日は「ロータリーと私」というテーマで、「入会前の私の略歴」

「入会後のロータリー歴、特に会長就任時の 活動」「ロータリーでの親睦と奉仕活動の中で得られた交友関係」についてお話申し上げたいと思います。

入会前の私の略歴ですが、昭和10年12月生まれで現在78歳。両親は山梨県出身ですが、父の勤めの関係で生まれは京都、小学校から 高校までは富山県の高岡市で過ごしました。 昭和29年に防衛大学校に二期生として入校し、応用化学を専攻。昭和33年に卒業しました。翌年4月に幹部に任官した時、大学院への国内留学制度ができ、9月に京都大学大学院工学 研究科を受験し、翌35年3月より修士課程 及び博士課程に在学し、工学博士の学位を取得しました。担任教授は後にノーベル賞を受賞 された福井謙一先生でした。卒業後、研究所、陸幕に勤務した後、上級指揮官を希望して幹部学校の指揮 幕僚課程(旧陸軍大学)に入校し、戦術の勉強をしましたが「人間万事塞翁が馬」入校して一年が過ぎた時、家内の父が急逝しました。義父は横須賀でカメラ店と幼稚園を生業としておりましたが、娘4人は皆結婚 しており、義母だけ残りました。私が入校中であったこともあって、父の看病のため私の家族は親と同居しておりました。幹部学校卒業後は、部隊指揮官に着任の予定で、2年毎の転勤が予想され、家内の実家の 世話をする事は無理と判断し、翌年昭和47年3月、幹部学校卒業と同時に自衛隊を退職しました。退職後、私は家内の実家のカメラ店を継ぎ、家内は幼稚園を継ぎ、未知の世界で努力しました。自衛隊在職中は、 自分では腰の低い方と思っておりましたが、商売の世界に入ると「上から目線」「生意気」「独断先行」と 攻撃され、大変苦労しました。そして、自衛隊という大きな組織の中で、上級管理者の卵として、いかに 将来の為に大切にされ、周囲に支えられていたかを痛感しました。続いて入会後のロータリー歴ですが、 自衛隊を退職して3年目の昭和50年12月に小佐野PGのお父上で、チャーターメンバーで当時の商工 会議所会頭の故小佐野皆吾会員のご紹介で当クラブに入会させて頂きました。40歳直前で最年少でした。ご推薦の理由は、家内の父が生前当クラブのメンバーであり、職業分類の補填ということでしたが、後に 地元に知己の少ない私の人脈を広げる為と人付き合いに不器用な私にロータリーでの交友を通じて「人の絆の大切さ」を勉強させようとするご配慮があったと伺い感謝しております。因みに小佐野PGは、私の義弟になります。RC入会後最初の役職は入会1年半後の昭和52年度の3年目のRA委員長でした。昭和51年度に故石渡三郎会員が当クラブ最初のガバナーに選出される事になったので、それに合わせて同年6月に横須賀RAクラブが、初代委員長の髙地会員のご努力で設立されました。私は入会直後からRA委員としてお手伝いしました。私が委員長の時のRA会長は現西クラブ副会長の桐ヶ谷さんで、チャーターメンバーで5代目会長の八巻敏博さんは当クラブの平成23年度の幹事です。会員数は40名を超えていましたが、 食事会が中心でとりあえず勉強会と社会奉仕から始めました。次の年度はSAA(当時は副SAA無し)で以後副幹事、社会・職業・クラブ・国際各奉仕委員長、職業分類、プログラム、雑誌、R情報の各委員長を経験しました。幹事は昭和46年度、46歳の時拝命し、会長は故稲垣会員、副会長は上林会員でした。 勝手な事ばかり言って会長を困らせましたが、会長の人徳で楽しく務めさせて頂きました。三役終了後も 長い間、ホテルニューオータニで夫婦同伴の食事会を開いて頂きました。副会長は、昭和62年度52歳の時で会長は故近藤孝会員、幹事は山本公一会員(平成9年退会)でした。RI国際大会がソウルで開催され、髙地会員を団長として24名で参加しました。ダブルブッキングで宿泊ホテルが無く、ソウル郊外の温陽 温泉の観光ホテルに泊まるハプニングがありました。会長には平成55年度(1993年)57歳の時に 選出されました。副会長は現在出席免除で長期欠席中の当クラブ最高齢(93歳)の桜井静会員(当時72歳)で、私が友好クラブ訪問で訪米中、例会の司会をお願いしたところ、緊張してマイクを槌替わりに使って点鐘したというエピソードの持ち主です。幹事は中島幸雄会員(平成12年1月没)で、配布資料「50年記念誌-50年の歩み-1993-1994」に記載されているとおり視野が広く、交友関係もJC出身で多岐にわたり、優秀な方でした。「三顧の礼」に応じて幹事を引き受けて下さり、期待通りの仕事ぶりで私を補佐してくださいました。ご次男の洋さんが後継者として入会しておられますが、本当に残念です。 当時の会員数は前年度末95名、当年度末97名で100名近く在籍していましたが、この後平成11年度には82名に減少しました。

会費は、年3回各70,000円、財団寄付目標は、1人130ドル、米山奨学会寄付目標は、1人   18,000円でした。当年度より親睦と委員会活動の活性化を図る為、年度初めに委員会別の夜の食事会を開催する事にしました。現在はテーブルミーティングが3ケ月毎に開催されており大変結構なことです。また当年度より、当クラブとして初めて青少年交換学生を受け入れる事になり、米国から女子高校生が来横しました。佐久間会員と一緒に、YCATに迎えに行き、佐久間会員、中島会員、渡辺ガバナーのお宅に 交代でホームステイを一年間お願いしました。その節は本当にお世話になりました。後ひとつ。当年度に、女性版ロータリーとして全国的に活動する国際ソロプチミストの横須賀クラブが設立され、当クラブの会員のご夫人方も多数参加されました。設立総会に招待されたのでご挨拶してきました。最近20周年記念式典を開催されたそうですが、同じ社会奉仕団体の交流はライオンズも含めて、以前は存在したように記憶  しますが、現在も続いているのでしょうか?

最後に私の会長年度の最大の活動であった念願の友好クラブの設立についてお話します。50周年  記念誌抜粋の配布資料を参考にして下さい。尚、ご参考までに当クラブの記念誌は、15周年、20周年、30周年、40周年、50周年、55周年が刊行されています。当時、海外のRCと姉妹クラブ、友好  クラブ関係を結ぶ事が奨励され、地区の国際委員長等を経験された故八巻会員や髙地会員はその設立に  ご熱心でした。一方、米国カリフォルニア州サンディエゴ市にある日本語学校(日本学園)に対する当  クラブからの日本の小学校教科書の贈呈は、以前から実施されており、その学校長のご主人が大和RCの 副会長でした。当クラブから友好クラブを探すお手伝いをお願いしたところ、サンディエゴ市に隣接する コロナド市にあるコロナドRC(創立1926年、会員数当時158名)をご紹介頂き、先方クラブからのご同意を頂きましたので、1993年8月に当クラブの理事会で友好クラブ関係の締結を決定し、9月に 私からコロナドRCの会長宛に手紙でその旨を伝へました。そして、11月10日に当クラブから記念の 友好訪問をすることになり、故八巻会員、髙地会員、丸山会員ご夫妻、上原英雄会員ご夫妻のご同行を頂き、7名で行って参りました。8日間の行程で、先ずサンフランシスコ、ヨセミテ渓谷を観光後、サンディエゴ市に移動。同市観光の後、日本語学校を訪問、教科書140冊を贈呈しました(写真)。夜は宿舎の100年程の歴史を持つホテル・デル・コロナドにコロナドRCの三役の表敬訪問を頂き会食しました。11月 10日(水)12:30、コロナドRCの例会に友好記念訪問し、記念品を贈呈し、下手な英語で記念  スピーチをして参りました。不安でしたので、事前に原稿は渡しておきました。非常に大歓迎を頂き、  サンディエゴ軍港の隣接市ということもあって、海軍関係の仕事で横須賀に来た事がある会員が50%以上いました。友好訪問終了後、ポイントローマのデッカー邸を訪問し、横須賀復興の恩人であるデッカー  元横須賀基地司令官の未亡人及びご家族と歓談しました。その後メキシコのティファナ観光に行きました。私はパスポートを忘れて入れませんでした。翌日ラスベガスへ飛び、次の日早朝グランドキャニオン観光に出発しましたが、天候不良のため飛行機が飛ばず、そのままロスアンジェルスヘ移動、観光後、盛大な  打ち上げをしました。6名の皆様には大変お世話になりましたが、大変楽しい友好クラブ訪問旅行で、  皆様のご友情に深く感謝しております。

 コロナドRCとの交流は、帰国後数年間は10人以上の会員が当クラブにメーキャップに来られましたし、「ロータリーの友」の英語版を送ったりしました。私の後の会長の中に継続の努力をしていただいた方も おられましたが、言葉の障害と遠方ということもあって、現在は音信不通で先方クラブの会員も来られない様です。但し、ホテル・デル・コロナドは、由緒ある素晴らしいホテルなので、サンディエゴに行かれた時は是非お泊まりになってコロナドRCにメーキャップし、旧交を温めて頂きたいと希望します。また当時 日本語学校にも奨学金を贈呈していたが、現在は福田さんがお亡くなりになり、学校長も代替わりになって援助はされていない様です。会長退任後は、平成10年度に後藤PGの地区副幹事(当時は会長経験者)を経験した他、GSE、RA国際奉仕の各委員、財団増進副委員長等の地区役員に就任しました。そして平成12年、当クラブ2人目のガバナーとして小沢委員が選出され当クラブの大躍進時代が到来します。   しかし私は、当年末に次女が1年間の闘病生活の後、急逝しました。失意のため、ロータリー例会は出席 免除を申請し、欠席を続けるようになりました。引き籠もりは、平成16年のカメラ店廃業により加速し、

遂に健康を害し、病院通いに明け暮れるようになりました。友人の協力で、水泳や散歩に打ち込み、やっと

普通の健康状態に戻って、旅行にも参加できるようなった平成22年に胆管癌が見つかり、翌年6月に17時間の大手術を経験しました。手術は成功したのですが、今度は動脈癖が見つかり、3週間の集中治療室生活で臨死体験をしました。私の臨死体験は韓国、フィリピン等の旅行でした。皆様のお陰で9月に退院でき、クラブからもご丁重なお見舞いを頂戴し厚く御礼申し上げます。手術から3年、7割切除した肝臓も元の大きさに戻り、抗がん剤の投与も不要で、手術場所の内蔵のヘルニアに悩まされる以外は、普通の生活に戻りましたので、この7月から例会に復帰しました。

 長期欠席の間、皆様にご迷惑をおかけし、特に小沢ガバナー年度や小佐野ガバナー年度の多忙の時に皆様のお手伝いができなかった事を申し訳なく思っています。また例会欠席中は、三宅さんがロータリーの配布物をマメに自宅へ送って下さり感謝しております。このロータリーを長期欠席した10年余りのブランクは大きく、ロータリー情報も会員の消息も不十分で、現在は浦島太郎みたいな状態です。当分はお荷物になるでしょうが例会に真面目に出席し、親睦と奉仕に励むつもりですので宜しくお願い申し上げます。

 ロータリーでの親睦と奉仕活動の中で得られた交友関係ですが、特にご指導とご交誼を頂いたのは髙地 会員です。RAに始まり、当クラブの30周年記念誌(昭和56年)及び40周年誌(平成3年)の編集と記念座談会の司会を命じられ、大変良い経験になりました。商工会議所やボーイスカウトでもご指導頂き、大変お世話になっています。次は昭和11年組の方々です。入会順では、故本間会員、丸山会員、川名会員、川島会員、上原会員です。特に本間会員と丸山会員は次の年に入会され、三役も続いて拝命し、互いに助け合いました。3人共お酒というよりは、飲み屋が大好きで米が浜で朝まで談論風発しました。40歳過ぎてからのお付き合いでこんなに親しく出来たのも、ロータリーのお陰です。本間会員は平成22年8月急逝 されました。今でも信じられません。丸山会員とは会議所でも商業部会長を続いて経験した仲でいつも顔を合わせていました。大の韓国ファンで、私も手ほどきを受け、友好クラブを求めてご一緒に大田RCへ  メーキャップしたり、横須賀の中学の社会科の先生の研究会に参加して、韓国の博物館巡りにも行ったり しました。また、平成6年に亡くなられた昭電社の渡辺直人会員も、私にとって忘れられない方で、10歳年上でしたが、兄弟のようにお付き合い頂き、色々教えて頂きました。渡辺会員をリーダーとして、太田 会員、本間会員の4人でお金を積立て、年に1~2回のペースで、山口の湯田温泉の河豚から始めて鳥羽、福井、金沢、新潟、京都等々観光とグルメの旅を楽しみました。その時に小唄を勧められ、私はとうに止めましたが太田会員は今も続けておられ、三越劇場での発表会に参加されるほどと伺っています。太田会員は、私より3年遅れの入会だったので、三役のご就任も私と近く、3歳年長でしたので、旅行会を機会に兄貴のように親しくさせて頂いております。目配り気配りのご配慮の方で、私に無いものを沢山お持ちで尊敬しております。

ロータリーは、「入りて学び、出でて奉仕する」組織です。例会に出席し、クラブの各種行事や個々の 親睦活動に参加する事により親睦を深め、相手の立場に立って「思いやり」の奉仕を具現することを通じて真の友人が得られます。

当クラブに入会し、与えるものを多くお持ちの会員と交流する事ができ、40歳を過ぎてから尊敬する生涯の友人を得た事は大変幸せでした。以上で予定の卓話内容をお話し申し上げました。

 なお、卓話の参考に最近の当クラブの活動計画書等を見ましたが、私の会長年度に比べると、活動計画書には、定款・細則・慶弔内規が添付され、年度末には年間活動報告が刊行されていました。これは、会員 皆様の不断の努力により、間違いなく当クラブが進化している証拠です。ロータリーは、クラブあっての 地区・RIですから、先ずクラブが充実しなければならず、クラブの親睦と奉仕を活発にして「奉仕の  理想」の実現に向かってクラブを進化させる事が肝要と考えます。ご清聴有難うございました。

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