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<新会員卓話> 鈴 木 隆 裕 会員

<新会員卓話>  鈴 木 隆 裕 会員

20140509.jpg皆さんこんにちは。本日はゴールデンウィーク明けのお忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございます。本日、卓話を担当させて頂きます鈴木隆裕です。よろしくお願いします。

横須賀ロータリークラブに入会させて頂いてから約1年半がたち、本来であれば昨年の秋に新会員卓話のお時間をいただいていたのですが、猿島公園の火災がおき、ただでさえ話すのが苦手な私が、そのような状況の中で新会員卓話などとうてい出来そうもないということで本日にして頂きました。わがままを聞いて頂きありがとうございました。

 今思えばあのときやっておけば...と後悔しています(笑)。

  本日は、簡単ではありますが私の自己紹介をさせて頂きたいと思います。

 私は、1970年昭和45年2月に横浜市西区御所山という所で生まれました。と言いましても、3歳で千葉の実家に引越という事なので、母親からは「よく野毛山動物園に連れっていった」と聞くのですが...まったく記憶にございません。ですので、生まれは?と聞かれると横浜なのですが、記憶がございませんのでほとんど生まれも育ちも千葉県と言って間違いありません。

千葉県にある実家の場所は、千葉県安房郡の鋸南町。久里浜からフェリーで対岸に渡った所にある「鋸山」の南にある町、文字どおり「鋸南町」です。鋸南町は、房総の捕鯨発祥地で、日本の捕鯨は和歌山の太地町(たいじちょう)が発祥らしいのですが、その船団が江戸時代初め操業中に遭難し、流れ着いたのが鋸南町だということです。そしてその船団より捕鯨の技術を教わり、関東で初の捕鯨組織が誕生したところが鋸南町だそうです。「だから」と言うわけでは無いのでしょうけど、思い返してみると...給食にはいつもクジラが出ていたような(?)気がします。

当時、自転車の荷台に大きな箱を載せた「鯨売り」が、夕方になると町中を売り歩き、よく「クジラのベーコンと酒買ってこい」と父親からお金を渡され、クジラを買い、つまみ食いしながらお酒を買いに行った記憶があります。

小学生時代は夏も冬も台風の時も海岸へ行き泳いだり潜ったり、カニやウニを捕る毎日でした。なぜかというと、単に海が好きだということもありますが、実家が鋸南町の勝山にある「鈴木寿司屋」というお寿司屋さんだからなのです。友達の魚屋さんに行き、いらなくなった「魚の頭」をもらい、それを餌にしてワタリガニを捕り、寿司屋に納品(笑)します。バケツ1杯で500円という紳士協定?を結び、小学生の私は夢中でとりました。「どうしたらうまくカニを捕ることが出来るか」を真剣に考えた結果、カニを捕るための「プラン」をたて、「実行」し、うまくとる事が出来ず「見直し」をして「行動」に移す。今思えば自然とPDCA(笑)を実行していました(笑)。

そんな小学校中学校時代でしたが、中学卒業の時に父親から「改めて話がある」と呼ばれ、「寿司屋をつぐ気があるのか?」「つぐなら高校に行かず修行にいけ」「つがないなら店をしめる」と、当時中学生の小僧にはきつい(?)決断にせまられましたが、間髪を入れずに「高校に行く」といい、数年後店は閉まり、今私はここにいます(笑)。それが良かったのか悪かったのかは分かりません(笑)。

高校は館山にある安房水産高校に入学しましたが、どうしても行きたい理由がありました。それは高校2年になったら約3ヶ月間の遠洋実習があり、千葉県所有の実習船に乗ってマグロを捕りながらハワイに行けると知ったからです。

少し実習の話をさせて頂きますと、出港する時まで先輩達からは「いい話」しか聞かされず、生徒達は「ドキドキワクワク」、少し前の言葉で言いますとルンルン気分(笑)でした。まず館山港を出て三崎港にいきます。油と水と3ヶ月分の食料を積み込み、港を出ます。2日目でもう360°水平線、ほとんどの生徒達は船酔い地獄。当然食欲もなく、24時間エンジンの音が響き、6畳ほどの船室に2段ベッドが3つの6人部屋で、お風呂は海水を温めたものです...。この地獄が3ヶ月続くのかと考えながら、先輩達のニヤッとした顔が浮かんできます。しかし、3日目にはみんなの顔色も良くなっていき慣れてきます。食欲も戻り、船の生活にもなれ、実際にマグロの操業が始まります。私たちの年は大漁で、マグロだけではなくカジキやマンボウやサメも多くとれました。残念なのはあれだけ楽しみだったハワイの上陸が「たったの8時間だけだった」というのと、大漁すぎて、大きいマグロがとれるたびに前日にとった小さいマグロを海に捨てているにもかかわらず、「食事に一度もマグロが出なかった」ことです。帰りは、ハワイホノルル港から三崎港までノンストップ11.3ノット(時速約21キロ)で14日間です。三崎港で水揚げして翌日館山港に帰るのですが、あれだけ地獄だと思っていた環境になれてしまい、今度は実家の階段が登りにくい、部屋の中が静かすぎて眠れないということが数日つづきました。

  高校生時代の想い出といえば乗船実習の他に、「ゴルフ場のキャディー」のアルバイトがあります。ゴルフ場は「岩井カントリークラブ」、現在の「コスモクラシック」です。キャディーといっても技術があるわ

けでもなく、当時高校生の私は、正規のキャディーさんのアシスタントにつき、教育を受けながらお客様と一緒にまわります。正規のキャディーさんからは「ナイスショットと言いなさい」(笑)と教育され...言われるままに走り回り、クラブを渡していた。そんな記憶があります。ちなみに、残念ながら現在もゴルフは出来ません(笑)。

卒業後は、船舶の免許を持っていたので川崎にある東京電力下請けの船舶警備会社に入社いたしました。京浜地区にある火力発電所を海側から監視するという仕事です。学生時代の「カニ取り」をはじめ、色々とアルバイトはしてきましたが、ある意味、初めて社会に出る、しかも南房総から川崎へ...ということで不安と緊張はピークでしたが、川崎の夜の魅力のおかげで不安が一瞬にして消し飛んだことは言うまでもございません。あるとき、その会社の社長から「房州人はあばらが一本足りないからな~」と言われたのをよく覚えています。それは諸説あるようですが、その社長は「大事なところでひとつ抜けている」的な意味で使っていました。どうなのでしょうか?そういわれるとそんな気もしますが、そんなことはないと信じています。

その後何回か転職し、現在の会社トライアングルに入ることになるのですが、バブルがはじけた後なので求人募集をしていたわけではなく、勢いで面接までこぎつけました。「なんで入りたいのか?」との問いに「海と船が大好きだから」と子供のような回答をし「給料なんて払えるか、わからないぞ!」という現在では考えられない言葉に「いりません!」と売り言葉に買い言葉的な、まるで小学生のケンカの様な回答に、

なぜか「気に入った」と...。 おかげさまで無事に入社することが出来ました。もちろん、給料はしっかり頂いております(笑)。

現在は、猿島航路・軍港クルーズ等、外から来た人間なりの「第三者目線」で日々改善しています。まだまだ横須賀のことは分かりませんので今後も宜しくご指導願います。

本日は、ご静聴また、貴重なお時間をいただきありがとうございました。

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