活動報告

<卓話>人生をビデオにする ~テレビ局の新事業の可能性~

<卓話>人生をビデオにする ~テレビ局の新事業の可能性~

   日本テレビ放送網(株) 編成局 専門局長

  (兼) LIFE VIDEO(cc) 代表取締役ディレクター 土 屋 敏 男 様

3047.jpg日本テレビと言うよりLIFE VIDEO株式会社の代表取締役をやっております「土屋」と申します。こう言いますと大体「あぁ、あの電波少年の・・・」と・・・日本テレビの電波少年はかなりイメージが強い番組でしたので「土屋は結構無茶なことしていたのでクビになって、独立したんだなぁ」なんて思われる方がいらっしゃって、今日も肩書が"元・・・"とお手元の資料にもあるように多くの方に思われているのですが、"元"ではなくて、実は日本テレビにもまだ籍がありまして、編成局専門局長として番組も制作しています。去年、NHKと日本テレビとで「60番勝負」という番組を共同して1案2案と分けて制作するなど、ちょっと変わった番組をやっております。代表作とすると、やはり日本テレビの「進め!電波少年」で ありまして、この番組が日本のテレビ業界でどういう位置にいたかということをお話しして、その関連の中で今やっているLIFE VIDEOがどういうことになるのか、事業というか企業等々にどういうふうになっているか、主に最近はイノベーションという言葉が流行っていますが、イノベーションがどういうふうに起こって、どういうふうに成功して行くのかと言うことを例にとってお話させていただければと思っています。

先ずは、イノベーションは如何にして起こるか!ということをお話しします。電波少年の場合ですね、この番組が始まったのが約20年以上前で約10年間続いて最高視聴率が30.4%ということで平均視聴率も20%超えで、テレビのバラエティ市場でもかなり成功した番組と言われております。そして電波少年は今でも取材を受けるのですが、印象が強かったとか、画期的であったとか、企画が面白かった、と言われます。というわけで電波少年はテレビ史の中でイノベイティブな番組であったと言えるかと思います。そのイノベイティブな電波少年というのは如何にして起きたのかを考えます。それまでの番組は、事前に先方と打合せして撮影を行なうのが常識でありました。これに対して電波少年という番組は"アポなし"というとどうなるか...無礼なことになるのですが、悪気があるわけではなくて事前に連絡することなしにいきなりカメラが行ってしまうという、それまでのテレビの歴史とは全く真逆のことをやったということです。もう一つのことを言うとバラエティ番組は有名コメディアン、その時に人気の芸人やスターが出演して作られるものであるというのがこれまでのテレビの常識でありました。これに対して、当時、全く無名の猿岩石を起用してユーラシア大陸ヒッチハイクをやったことが新鮮に受け取られ大ヒットした。これに出ていた猿岩石の一人である有吉君が有名になりました。ヒッチハイクから帰ってきて西武球場で凱旋ライブを行なった際には3万人以上の方が入場しました。お笑い芸人ですからコントをやり始めたら、その瞬間に半分が立ち上がり、終わった時には誰もいなかった。そんな芸人でしたが今では復活してレギュラー番組が週に14本ある人気者になっています。ただこの企画のときにはオーディションで全く無名の芸人を選んだということ、これまでのテレビの常識を裏切ったことが、イノベートしたと言えると思っています。イノベーションするためにはテレビに限らず業界のやり方を疑ってみる。そして常識を裏切る決意をするところから始まるのではないかと思います。自分の業界でやっていることは、「このやり方じゃないやり方があるのではないか?」と疑う。ほかのやり方を考えてやってみるのがイノベーションだと思います。ただイノベーションはやることを思いつくこと、実行しようと思うことがステップではあるのですが、「成功する」ということには幾つかのポイントがあると思います。イノベーションを如何に成功させるかについて電波少年を振り返って考えてみたいと思います。

1."その業界の技術的な進歩、テクノロジーが進化しているかどうか"それが、イノベーションが起こるかどうかに繋がるといえます。電波少年では、当時、SONY Hi8カメラができました。小さく軽く持ち運べる。電波少年のヒッチハイクではディレクターがカメラを持ってタレントが2人の計3人で移動することができるようになった。持ち運べるカメラがテレビである程度使える画質になったからタレント含め3人のロケが可能になった。それまでのテレビのロケというのはカメラマン、ビデオエンジニア、音声、マイク、照明、タレント、ディレクター、ADなど約10人のスタッフが必要でヒッチハイクの撮影をするのにバスを用意しなければいけない実状がありました。技術的な進化があったからヒッチハイクの番組ができた。

2. "時代が動いているか それを読めるか"電波少年はテレビがスタートして40年が過ぎていて、今までの番組に飽きてきているというか新しい番組が欲しいという中学生や高校生が増えていた時で、その時代を読めていたといえます。

3."数字がついてくるか"ということが成功するかしないかに繋がってきます。テレビの場合は放送の次の日に視聴率がでます。会社の中では今までのやり方と違うので評判は良くないのですが、いわゆる市場の評価や受け入れられ方がすぐに見えるので、売上、成果に繋がっている見極めができたと言えます。

4."社内の理解"これに関していうと、やはり理解のあるトップ、会社においてイノベーションが起きるかどうかは、正直なところ多数決をとっていくとイノベーションは起きません。やはりトップの決断があって新しいことができていきます。電波少年という番組は視聴率という社外の支持もあったのですが、トップが理解してくれていたということがあります。こちらのメンバーの方々も皆さん経営に近い方が沢山いらっしゃると思いますので、トップの決断がイノベーションには大きいと申し上げたいと思います。

さらにもう一つそれを支える技術力があるか。イノベーションはアイデアですから、こういうことは今まで業界でやったことはない、ということに気づけるでしょうが、それを支える技術力がなければ成り立たないのです。その商品、テレビの場合は番組になりますが、これを支えることができないということになりますので、そこには技術力が必要だということです。電波少年という番組が如何にイノベーションに繋がったかということを4つの項目とこれを支える必須条件をお話しました。

ということで、新事業「LIFE VIDEO」という会社もイノベーションというものを検討して、今現在やっています。2011年の7月に日本テレビのグループ会社として誕生しました。そしてコンセプトとして、テレビ局は作ってきたコンテンツを一人でも多くの人に提供しようとしてきたものを、たったひとりのために、真逆ですね、"ひとりのために映像を作るというものを確立できないか"今までの常識の真逆を発想して事業をつくったのです。先ほどお話ししたテクノロジーの進化は、これにどのようにあるかというと、カメラの小型化もさることながら映像を編集するソフトというものが進化して、30分のドキュメント番組を劇的に簡素化したテクノロジーの進化があります。それからLIFE VIDEOの情報は社内リソース、日本テレビの資源はどのようになっているかを検討します。これまで約60万本のライブラリー映像があります。戦争の時代もある。戦後の混乱期、バブル期、新幹線や万博の映像もある。その映像を個人の映像に取り込むことができるというテレビ局ならではのリソース資源がある。そして何より技術力ですがプロの映像制作力がある。つまりテレビクオリティで個人史を制作することができるということです。そしてもう一つが時代です。新事業を進めるための時代はどうなっているだろうか。ご存知のとおり日本は超高齢化社会になっています。戦後できた世帯の分割、昔は同一世帯で一緒に暮らしていたが核家族化し分割してきた。そして団塊の世代がちょうど65歳前後、いわゆるリタイアの時期に来ているということを考えると個人のDNAや会社のDNAが世代交代の時期にきているタイミングで、つまり戦後のことを知って未来を知る時代環境になってきているといえます。ですから、個人、会社のライフビデオは個人、会社の誕生から現在までの歴史の全てを今に伝えることを着地点として事業をスタートしたということです。

そういったビデオを作って、例えば社史とかがありますが、今のタイミングで新しい世代にどう伝えていくのかということが大事であると。つまり今というものを意識して、現在のお客様やお世話になった方々、そしてこれから取引のある会社、新しい管理職、新入社員などの人たち、われわれLIFE VIDEOが作った映像を会社のホームページなどに載せていただいています。そうしますと、例えば若い人達は就職しようとすると、そこの会社はどういう会社なのかを調べるのにインターネットでホームページを見ます。会社のホームページがどういったものであるかが非常に大事になってきています。認識されていることと、されていないこととの差は非常に大きいことになります。新入社員にかけるコストは何千万円となりますが、会社のホームページにどんなメッセージを載せるか、そこに創業者や今の経営者のメッセージを載せることで、この会社がどういうDNAを持っているか、これからどういう風にしようと思っているかのメッセージが、きちんとそこにあるかどうかが大事なわけです。それから後継者に向けてLIFE VIDEOがテレビのクオリティでビデオを作るということの検討をしました。ビデオの制作にあたってのミニマムはインタビューをするもので50万円から、高コストのもので1,000万円のものまで幅広くみなさまの要望に合わせ作らせていただいています。インタビューは個人の方や、家族、恩人、会社であれば創業者、役員、後継者、社員に過去のことやこれからのことを聞いたり、「インタビュアーは芸能人でやってみたい」というので取締役をお願いしていますので、インタビュアーに芸能人を使うことができる。それからロケ地、生まれた場所や創業地などに出向いたり、複数のバージョン、社史として作る、個人史として作る、同じインタビューの中で作り分ける、それから先ほど話したホームページに出す、創業記念パーティで15分ものを放映する、など作り分けも可能です。

創業当時のことをいつ伝えますか?...今でしょ! ということで、ビデオを観ていただければ、どんな内容でどんなクオリティか分かります。サンプルビデオなので7分程度のダイジェストですが観てください。

=サンプルビデオ放映=

ということで、電波少年というアバンギャルドというかアナーキーというか番組を作ってきたのですが、今はこういったしっとりとした、電波少年とは違い「土屋どうしちゃったんだ」といわれる方もいますが、「すっかり、更生したんだな...」思っていただいていいと思います。もとめるものは一緒で猿岩石という芸人が一生懸命にゴールに向かっていく人間像を伝えた。LIFE VIDEOは一生懸命生きてきた証を伝える。先ほどのビデオの8歳の時に買ってもらったグローブが原点であり80歳を超えてもソフトボールチームで活躍している歴史を伝えることで、若い人たちの夢に繋げてもらおうという信念にも繋がっていく、いわゆる子供の日記のように「朝、何時に起きました」「歯を磨きました」ではなくて、その一日のどこにポイントがあって、どういう意味があるのかをテレビクオリティで切り出せる、作り出せるのが我々LIFE VIDEOという企業であり、私が今に至るまでイノベーションの事業であるということが、皆さんに繋がると大変嬉しい。

お手元にLIFE VIDEOのパンフとアンケートがございますので一言で結構ですからご記入ください。

最後にご質問等ありましたらどうぞ。質問が無いようですので、電波少年のエピソードがあればと言われていたので少しだけ。と言っても話せるものがないのですが...。

アラファト議長に会えたのは、当時、久米宏のニュースステーションで何年もインタビューのお願いをしていたのですが、断られていまして、アポなしで松本明子が行ったら会えてしまった。17・8年前ですが、何をお願いしに行ったかと言うと、普通は「中東情勢がどうの」とか、「今後はどうの」ということですが、「てんとう虫のサンバを一緒に歌って欲しい」というお願いでカラオケの豆カラを持って行ったら会えてしまったんですね。当然、議長は歌えず松本だけが「♪アラファト私が夢の・・・・♪」と歌っていましたが、バラエティ的なことをアプローチして生きて帰ってきたエピソードがありました。非常に残念なのはアラファト議長が亡くなった時に「日本テレビにあるその映像を使ってもらえないか」と言ったら無視されたことでしょうか。また、マンデラ大統領が亡くなった時にも「よっ!大統領!!」と言いに行った映像も使われなかった。その時々の映像が使われず悲しかった。ということで〆とさせていただきます。

ご清聴、ありがとうございました。

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