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<新会員卓話 2>山﨑隆志会員

309402.jpg 皆様こんにちは。山﨑でございます。自分が27年間携わってきた銀行の話を通して、自己紹介とさせていただきたいと思います。
 昨年5月に入会いたしました。生まれは1963年、父親は富山県の出身で、横須賀追浜出身の母親との間の長男として生まれました。兄弟は2つ下の弟がおります。
 学校を出てから、縁あって神奈川銀行に入社いたしまして、どんな仕事に関わってきたのか簡単に紹介させていただきたいと思います。
 まず、最初に配属されたのが大和市の桜ヶ丘支店でして、そこで約7年間過ごしました。大学を出たばかりで右も左もわからない社会人1年生がまずやらされた仕事は預金の仕事です。
銀行の仕事は大きく分けて、預金、融資、為替の3つあります。最初は現金を扱う出納係、後半の半年間は窓口係をやりました。出納係というのは現金を取り扱う元締めのようなところです。1円でも合わないと、当然原因探しが始まります。昭和の時代でしたので、今ほど機械がなく、何でも人海戦術でこなすところがありました。
 銀行員になって初めて知ったのですが、合わない金額が9で割り切れると、桁間違いだと先輩から教わりました。例えば500円と50円を間違えると、差額450円がでまして、必ず9で割り切れるということです。
 銀行の繁忙日である給料日25日や月末は、窓口の女性の前にカルトンと呼ばれるトレーに預金や伝票等が20枚も30枚も積み重なる忙しい日でした。夕方になり、出納係が「勘定合いました」という声が上がると、皆で拍手するということがありました。勘定が合わないと、入金伝票と出金伝票を対にして1枚1枚、全員でカルタ取りのようにして合わせなければいけないという苦労がありました。
 2年目からは外回りになり渉外係として担当地区を任せられ、そこで融資、ローンの販売、預金業務に励むということをしていました。営業については全くの素人ですから、先輩の見よう見まねで何とか仕事をしていたのですが、誰がコーチをしてくれたのかなと、今になって思えばそれはお客様でした。失敗して怒られることもあり、人生初の土下座も経験しました。
お客様からお預かりした通帳を返すためにご自宅に訪問したところ、ご両親が不在で出てきたのが小学生の女の子でした。仕方なく「お母様にお渡しください」と通帳を手渡したんですが、外訪活動から帰ってみると、上司の次長から「お客様の大切な通帳をなんで小学生に返すんだ」と烈火のごとく怒られました。  その次長と一緒にお客様のところに謝りに行ってもらったのですが、帰りの車の中では一言も口をきいてもらえませんでした。挨拶、礼儀、言葉づかい等の社会常識は、この頃すべてお客様から教わった気がします。
渉外係は毎日20軒30軒のお客様訪問をするんですが,たまに台風時など営業にならない時は、内緒ですが,同僚とスーパー銭湯へ行って汗を流してリフレッシュなんていうこともありました。渉外の仕事は5年くらい続き、その頃現在の妻と出会いました。担当している会社の経理担当で、結婚することになって所帯を持ちました。
その後融資係になりまして、これが非常に大変な仕事でした。法人のお客様が多い横浜の店舗だったのですが、融資の稟議書作成など朝から晩までずっと仕事で、終電がなくなり支店長や営業課長の車で帰宅したりしていました。風呂に入る時間がなく、銀行の給湯室で頭を洗ったりしたこともあります。年齢的には31~32歳頃のことです。
担当しているお客様には不動産業者の方がいらっしゃって、商品仕入れということで、申し込みを受けて融資をしておりました。お客様と不動産とのプロジェクト融資というか、戸建てが1軒1軒売れるごとにお客様と一緒に喜んでおりました。その後次々に融資の案件が持ち込まれまして、本部からの目標数値指示
の電話対応、担当者の融資書類の点検等、色々やっていたので、30代前半は非常に白髪が増えたなと思います。
それから時が経って平成14年頃、当行で住宅ローンの詐欺事件がありまして、詳しくは申し上げられないのですが、事件発覚から2か月後に被害店舗に配属になり3年間事後処理を行ないました。
それから9年程前に川崎の小さな店舗で支店長に着任しました。最初はプレッシャーで体調不良が3ヶ月続きました。4ヶ月目くらいから支店が軌道に乗ると、嘘のように腹痛がなくなりました。
支店長になって思うことは孤独だということです。次席以下の人間は、自分もそうだったんですが、上司の悪口でアフターファイブを楽しむようなところがあって、今はそれができない(笑)。そのため一人でアフターファイブに飲むことが増えました。45歳過ぎてから日本酒が好きになりまして、好きな銘柄は十四代とか酔鯨とか。また新潟のお酒は何でも美味しいですね。一番飲んでいるお酒は長野県の真澄です。純米吟醸をたまに買って飲んでおります。仕事の後の1人飲みはよくモアーズの上で飲んでいますが、最近はお太幸さんにも寄らせてもらってます。
日本酒というともう一つ話があります。父親が富山県の出身で、家業が薬売りでしたが,妹4人を養うために15歳の時に東京に出てきて働いたと聞いています。ずっと薬売りを60数年続けてきて、自分と弟を大学まで進学させてくれました。今、自分も子供を持つ身になってみると、当時の父親の苦労がわかる気がします。その父親も今月で80歳になりますが、まだお酒が飲める体なので、2週間に1度、4合瓶を買って実家に帰り、酒を酌み交わしています。それが非常に幸せです。
 まだ時間があるので、話を戻して融資の話ですが(笑)、私は「間接金融」という仕組み、今の仕事が大好きです。お客様の大切な資金が、必要としている別のお客様の資金として役立つということに喜びを感じます。融資の仕事は非常に大変なのですが、最終的にお客様の口座に必要な資金が入った瞬間、苦労が一瞬にして吹き飛びます。その後にお客様の企業が成長したり商品が売れたりすると、なお喜びがじわじわと押し寄せます。
もし会員の皆様で資金を必要とされている方がいれば、私までご相談いただければ最速で頑張りますので(笑)、お声をかけていただければと思います。
 
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