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<卓話>  「 ロータリー今昔 」

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                                     上 林   茂 会員

3075.jpg 25年ぶりに皆様と対面の席に座らせて頂いて非常に緊張しております。同時に沢山の方から ニコニコを頂きまして、その重圧に耐えられるかどうか心配しております。と、同時にそれぞれの分区の会長・副会長・幹事の方が出席している 席で、ましてや西ロータリーの楠山会長はお話しが上手なので、皆さんを前に「これは困ったことだなぁ」と考えています。

 

 私が会長を仰せつかった往事は、太田会員に 副会長を新倉会員に幹事をお願いして助けて頂きました。

既に私の会長以前のパスト会長は髙地会員 しかいませんが、入会時を考えますと、綺羅星の様に戦中・戦後を生き抜いてこられた当時の  実業人・商業人がロータリーの会員として名を 連ねていられました。

 

先月スピーチをした髙地会員の53年に及ぶお話がありました。その中で51人に及ぶ会員の内、何人かのお話がありました。会場の多くの方々はその半分以上の方の「お名前と顔が一致しないし、お名前を  聞いてもどこの誰か分からないんじゃなかろうか」と思いまして、私も大変、お恥ずかしいのですが   20周年の記念誌に入会早々の私が「ロータリーにお仕えします。」と言ったことを書いた短文をコピー しました。これは私の20周年の頃の経歴でございます。

明野会長から「ロータリーの昔話をしなさい」とのことでしたが、半分の方が名前を理解できないと 思いますので、この機会に私の後に長澤会員が続きますけれども、今回は往事のことも含め、私自身の事やOLD会員の紹介と昔の話もしてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

既に入会して47年になります。私の入会年以降に生まれた会員が13人も居られることが先日調べて判りました。私と同じテーブルの小林会員は「生まれていないどころか、ご両親も出会っていない」との ことで真にもって47年というのは長い期間なのだなと考えています。

 

今年度の会長方針で「ロータリーの昔話をしなさい」とのことですので、参考にみなさんの席上に  30周年(1981年)の記念集合写真を用意しました。この記念写真でどこの誰かということが判る方が何人いらっしゃるかと思いますので、そんなことを含めまして若干の昔話をしていきたいと思います。

 

私は1964年よりの海外渡航、アメリカに行っていた経験があったものですから、入会後に地区の 国際部門委員を担当させられ学びました。1978年頃、山手学院の院長から命令されまして、その頃の GSE(Group Study Exchange)で、ダラスに派遣されました。そのころ社会奉仕  国際奉仕・職業奉仕は非常に厳しく言われ、これも国際奉仕の一環だと思いまして、神奈川県内の若手の ビジネスマン5人を率いて行きました。ダラスのロータリアンのお宅にホームステイさせて頂いたならば、大きな敷地でテニスを楽しむかも知れない。あるいは乗馬を楽しむかもしれない。と思いまして、谷津坂のテニスクラブでハードのテニスの練習をして来たのですが、実際にダラスのクラブに行ってみましたら、 そんなことはなくホームステイ先はご夫婦共稼ぎのサラリーマンのお宅でした。ほかの5人もテキサスの 広大な土地をイメージしていたのですが、皆、相応なステイ先であり、みんなで一安心をした次第です。

そのことが基となり、1980年にはシカゴでのロータリー世界会議に初めて横須賀ロータリーが  グループ参加を実現しました。席上に配布した39年前の旅程と参加者のコピーをご覧下さい。その後、 パストガバナーの小佐野さんや小沢さんを含めまして世界大会への当クラブの参加・遍歴を重ねていますが、 1980年、小佐野会員のお父さんもいますが、これがグループとしての海外への出発点だったと思って います。

 

1951年の横須賀ロータリー発足時には横須賀市全体で一つのクラブでした。その後それぞれの地域発展に伴い、北・南・西・南西と4クラブが誕生した次第です。その頃のロータリーは国際奉仕     社会奉仕・職業奉仕の信条をモットーとして単純明快、地域からは一つの職業から一会員との選考の   厳格さで職業奉仕の倫理観を全うしていました。

今日では会員増強という大テーマの下でその辺が曖昧になりまして、職業選択も拡大解釈され、歯医者さんであれば学校歯医者、口腔外科、歯科医であるとか、銀行では相互銀行、為替銀行、信用金庫、何とか金融等もありまして、8つの銀行からロータリアンが横須賀クラブに入ってきたことが懐かしく     思い出されます。

 

国際奉仕は各自の自覚に基づく奉仕であり、社会奉仕は地域においての奉仕が中心で、当時は新聞配達の少年たちに手袋を贈るとか、市役所前公園への時計塔の設置、大津の桜並木の植樹等の地域単位の   行動であったと理解しています。

今日の発表にもありました様に、社会奉仕と国際奉仕を兼ねましてフィリピンでの口蓋裂手術と   技術移転を久保田先生や斎藤(眞)先生、五十嵐先生が先方のロータリー(ドウマゲッティ・サウスRC)とジョイントしまして、RIの基金を利用してやっています。

また、社会奉仕では何年か前から当クラブでもグローバルにタンザニアに山㟢先生のご努力で向こうの  ロータリーと病院などへの医薬品を寄付するなど、世界規模での活動の広がりをみせています。

世界規模の広がりも大事ですが、地域のクラブですから、横須賀での職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕をやっていくのが本来であろうかとも思います。

 

会員増強と組織の複雑さに伴い発足時の単純な3信条も変化していることは理解しておりますが、  1905年にポール・ハリスが3人の友人と出発した時の信条は"シカゴを良くしよう"との郷土愛でした。「その後の変化に対しての理解は必要である」とハリスも説いておりますが、この際、原点に帰っての  単純化を考えてみたいと思います。

郷土愛に伴う明るい地域の創造こそ我々ロータリーの信条です。1単位の積み重ねが地区ロータリー であり、その集合が国際ロータリーである筈です。様々な要望が地区に流れ組織も複雑に変化しており  ますが、最後の単位はそれぞれのロータリーであるとの認識にて行動して行きたいと考えます。

横須賀の場合は、先日も髙地会員もお話ししたのですが、ロータリーの基本、本来は在住・在勤の会員が地域に奉仕し、地域を盛り上げていく事だと思います。在住・在勤の方が横須賀のメンバーでなければ いけないのですが、若干、連絡票はありましたがその枠に入らない方もいらっしゃることも事実です。

横須賀ロータリーが巨大化していますが、それぞれのロータリーを作り出した時点での協力と理解を  この際持ちたいものです。地域を決められての横須賀クラブであり、その中での在住・在勤の会員である 筈です。在住・在勤の最小限の条件はこの地域の中での奉仕の最低条件です。

本日のガバナー月信にも会員増強と書かれていますが、横須賀クラブでは量をあまり求めなくても良いのではないでしょうか。量より質と言いますと語弊がございますが、むやみな会員拡大は当ロータリーには反省も必要な時とも考えます。

 

最後に分区の役員もいらっしゃいますが、お互いに協調を図って地域における会員の獲得に努力しましょう。また、それぞれの地区に素晴らしい職業人がいらっしゃったら求めて欲しいと思います。

RI会長・地区ガバナー共に"Light Up Rotary"輝きの表現を使っておりますが、私はできましたら "Wake Up Rotarian"目覚めよ各会員と言いたいです。一人ひとりのメンバーが郷土愛に燃えて、職業を通じた地域への奉仕こそ我々が目指すところではないでしょうか。

どうぞよろしくお願い致します。

 

実は、在住・在勤の枠に入らない(東京に在住・在勤)会員の方に冗談で、"奉仕活動を通じて横須賀に惚れ込んで頂いて、近い将来 横須賀市民になって頂けるよう" 話そうと思いましたが、お二人とも欠席でした。将来、在住の住所を持たれるよう期待していましたが、明野会長とお話をしましたら、お一人の方は残念ながら退会されたそうです。

それぞれの地域を愛してその地域への奉仕による発展のために、分区とバッテングしないような形で、職業奉仕を中心としメンバーを探していきたいと思います。

 

本日は"横須賀ロータリーの昔話の話をするように"とのことでしたが、若干の私の経歴と横須賀     ロータリーに関して、横須賀という地域の中に限定されたロータリーに関しての考え方をお話しさせて   もらいました。

有難うございました。

 

"Wake Up Rotarian"

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