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<卓話>「 まるごと横須賀の映画をつくろう! 」

<卓話>「 まるごと横須賀の映画をつくろう! 」

映画監督  矢 城 潤 一 様

 20140523.jpgご紹介いただきました映画監督の矢城潤一です。この度は、横須賀を代表する経営者、経済人の皆さまの前で、話す機会を作っていただいたことに感謝致します。

 今日は、私がこれから作ろうとしている横須賀の映画のことなどを中心にお話しさせていただきたいと思っています。

 最初に言い訳をしておきますが、元来、私は口べたで、想いを作品に込めるたちなので、もし私の話が面白くなくても、私の作る映画の出来とは一切関係ないので、不安に思わないでいただきたいと最初にお願いしておきます。

私のキャリアの始まりをお話ししたいと思います。実は、絶対に映画監督になりたい!というような熱い映画青年では無く、単に映像の仕事がしたいという想いで、たまたま撮影現場に潜り込むことが出来たんです。

最初に入った現場が、今、「相棒」のメイン監督、和泉聖治監督の現場で、製作進行助手見習いという肩書きで、ようは現場の雑用係として参加しました。映画ではなくテレビの2時間物の現場だったんですが、運良く、スタッフが全員、映画のスタッフだったんです。休憩中に「八木は何やりたいの?」と言われ、生意気にも「監督になりたい」といったら、馬鹿にされることもなく、「監督になるなら脚本が書けなきゃ駄

目だ」とスタッフに言われたんです。

 当時、私も素直な青年でしたから、「わかりました」って、現場が終わったら、脚本を書き出しました。当時はまだワープロも高価で、原稿用紙に手書きでしたけど、なんとか書くことが出来ました。社会風刺のコメディーでした。自分ではそこそこ面白い本が書けたと思いました。一本書き上げたという自信も持てました。で、やはり脚本だけではなく映像化したい監督をしたいという想いが強くなってきたんです。

 一応その時に目標を決めまして、坂本龍馬が大政奉還を成し遂げた歳が33歳なんです。で、自分も33歳までに監督をしようと。その間、北野武監督、「わが母の記」の原田眞人監督などの現場の助監督をしながら脚本を書きためていきました。20本ぐらいは書いたと思います。

結局、監督になったのは35歳の時だったんですが、この経緯も紆余曲折ありまして、監督になるべくプロデュサーや製作会社を数本の脚本を持って回ったんですが、全く相手にしてもらえませんでした。で、自主映画を作ることにしたんです。一本目に選んだのが、「ある探偵の憂鬱」という脚本で、一番評価が低い脚本でした。見張る探偵と見張られる老婆のカットバックだけで構成される映画で、モノローグだけで、台詞はほとんど無い脚本でした。「こんな脚本映画として成立しない」とまで言われたので、私は素直でもあるんですが、天の邪鬼でもあるので、敢えて一番評価の低い本を選びました。この先、映画監督として生きていくためには、それなりのセンスとか見極めが必要なわけですよ。

自分が面白いと思っている本が、全く面白くない映画になるなら、それは才能が無いと言うことなので、才能が無ければ生きていけないと言うことなので、自分を証明するためにも、この本しかないと決めました。結果、今は無き中野武蔵野ホールという劇場でレイトショー上映され、興行的にはよくありませんでしたが、ヴァンクーバ−国際映画祭のコンペ部門に選ばれて、賞は取れませんでしたが、ヴァラエティー紙に好意的な批評が載ったりして、まあ。証明とまでは行かなかったですが、伝わる人には伝わるという経験をして、自分を信じて映画を作っていこうと心に強く思いました。

今日まで、映画3本を含め、何本かの映像作品に関わってきましたが、ほとんどがインディーズ系の小さな作品です。誰かから与えられたのもではなく、仲間と一緒にゼロから作り上げてきた物です。これは私の自負でもあり、自信でもあります。この経験を是非、横須賀の映画にも活かしていきたいと思っています。

次は、横須賀の映画についてお話ししたいと思います。

元々、横須賀で映画を撮りたいという想いは、十年以上前から持っておりました。事ある毎に「横須賀の映画を撮りたい」と言い続けていたわけなんですが、真剣に取り合ってくれる人も無く。やるせなく過ごしておりました。具体的になったのは、去年8月に私が監督した「ばななとグローブとジンベエザメ」という映画の上映会をやってからでしょうか。私の横須賀高校時代の同級生たちが中心となって活動し、横須賀芸術劇場のヨコスカ・ベイサイド・ポケットで一日2回の上映で700人近いお客さんに来ていただいて、大変に盛り上がったんです。その興奮と成功体験もあって、今迄は掛け声だけで終わっていた横須賀映画の構想が一気に盛り上がりまして、「次は横須賀の映画だ!」と「まるごと横須賀の映画を作る会」を立ち上げるに至ったんです。

何故、今、横須賀に映画が必要なのか。

最近、横須賀の人口流出率が全国一番という不名誉な統計がでて驚かされました。私は横須賀に住み始めて13年。その前も青春時代10年近くを横須賀界隈で過ごした身としては、ショックでした。しかも近隣の鎌倉と逗子は住みたい街ベスト10とかに入ってるんですから。鎌倉はまあ、別格としても、逗子と比べてですよ、海岸や田畑などの勝景地、商業地区、文化施設、歴史...どれをとっても負けるところあります?住みやすさを考えても絶対引けを取らないと思うんです。ではこの差はなんで生まれるのか?単なるイメージだと思うんです。高級感と湘南の海ですか。

僕ら世代の持つ横須賀のイメージは、70年、80年代のダウン・タウン・ブギウギ・バンドや山口百恵さん歌う楽曲のイメージ、少し陰があり、やんちゃで、トッポイイメージですよね。一見、マイナスなイメージと思われますけど、問題はイメージがあるかないかなんです。名前を聞いてもイメージの湧かない場所は一杯あります。それでは埋もれてしまう。

ところが最近の若い人たちにはすでにこのイメージは薄く、既に賞味期限切れを起こしてるんです。

この状況を打開するには横須賀のブランディングが必要なんです。ブランディングとは、マーケッティングや広告戦略の手法の一つで、顧客の視点から発想し、ブランドに対する共感や信頼など、その価値を高めていく手法です。

先日、ネットで現在全米で公開中の「ゴジラ」の興収がナンバーワンになったという記事に「ブランディングに成功した」と書かれていました。前作が、失敗に終わったので、ニューゴジラのイメージを再確立させることに成功した。悪いイメージを払拭出来たという記事でした。

つまり横須賀をブランディングするとは、市のブランドをどう高め認知させるかなんです。

今横須賀のイメージを挙げるとしたら「海軍カレー」「ネイビーバーガー」でしょう。でもグルメだけでは弱い。何が弱いのか?そこに物語が無いからです。心を動かすためには物語が必要なんです。物語は人を惹きつけイメージを喚起させるんです。それには映画にまさるツールは無いでしょう。

例えば先のソチオリンピック。ジャンプの葛西選手。7度目のオリンピックで初の銀メダルであるとか、長野で団体のメンバーに入れず金メダルを取れなかった過去とか、妹の難病とか、裏にある物語が感動を生みました。

少し古い話になりますが、ロンドンの女子レスリング。小原日登美選手の物語も感動的でした。51キロ級はオリンピックには無く、下の階級には妹がいて、上の階級には吉田沙保里選手がいて、オリンピックには出ることが出来なかった。2度引退したそうです。妹が現役を退いて巡ってきた48キロ級での初出場のオリンピックで見事金です。圧倒的強さでオリンピック3連覇した吉田選手の金メダルも偉業ですが、私は小原選手の金メダルに涙しました。

この様に、裏にある物語は人の心に大きなインパクトを残すことが出来るのです。

今回の映画で新しいイメージを創出しようとは思っていません。元々他の地区に無い価値を横須賀は持っているんです。例えば、「横須賀」という表記を例に取りましょう。ひらがなの横須賀、カタカナの横須賀、アルファベットの横須賀、全ての表記に違和感が無いですよね。それぞれの表記にそれぞれのイメージが喚起される。そんな都市は日本全国探しても横須賀だけです。そういった元来、横須賀の持つ多様なイメージをもう一度映画で力強く発信し、内外の人たちを振り向かせたいと思っています。

なぜ映画なのか。2番目は映画の持つ発信力です。具体的には、メディアの発信力と映画自身の持つ発信力があります。

映画が公開される時には、雑誌や映画関連のウェブサイトで俳優、監督のインタビュー記事や話題になれば特集記事も出ます。

テレビも市民が作る映画と言うことで横須賀が盛り上がれば、取材が入ります。まだオフレコですが既に某局にアプローチしていて、感触としてはかなり良いです。

映画の上映目標は47全都道府県の制覇を目指しています。北は北海道から南は沖縄まで、横須賀の物語を届けたいと思っています。映画を観てもらえれば、横須賀の物語は必ず見た人の心に刻み込まれます。もし映画に力があり魅力的ならSNS等で口コミで広まります。映画を気に入った人が、ロケ地を訪れたいと思う人もいるでしょう。残念なことに横浜、鎌倉までは足を伸ばすけれど、横須賀には行ったことが無いという人が結構いるのです。先日の上映会でいらした俳優陣も横須賀に初めて来たという人がほとんどでした。そんな方々も最後は横須賀の魅力を堪能して帰っていきました。来れば皆、横須賀の魅力を分かってくれるのです。

そして映画の最も優れたところは、国内だけでは無く海外にも発信出来るということです。正直、海外戦略までは現時点では考えていませんが、話題になれば可能性はあるのです。

何故映画なのか3番目は、映画は人々を熱く、元気にします。

まるごと横須賀映画を作る会の理念は、まさしく「横須賀まるごと」というキーワードです。ロケ地も横須賀。俳優も出来る限り横須賀出身、もしくは横須賀にゆかりのある俳優に積極的にオファーしていきます。製作も普通は製作会社に頼んで、いわゆる丸投げ方式なのですが、コストを削減する意味でも既存の製作会社には頼まないで「まるごと横須賀」自身でやる方向です。現在、その方法論を模索中です。

で、何といってもまるごとの主役は横須賀市民です。

先程も言ったように、映画に関わると、何故か人は熱く、元気になるんです。映画の撮影は祭のような熱気を産みます。映画を作るという具体的な目標の下に、良い年をした大人たちが一丸となって右往左往する。その純粋さからなんでしょうか。

特に撮影は突発的なトラブルの連続なんです。そんな状況でさえ、みなさん嬉々として対処してくれるんです。これはいつも不思議なんです。お金もらっているわけじゃない。みなさんボランティアですから。

先程、横須賀の人口流出の話をしましたが、その原因は、色々あると思います。若い人が働く場所が無いと

か、子育て世代に優しくないとか。経済や政策的な問題は、個人でどうすることも出来ません。

街の魅力というのは、インフラや助成だけでは無いと思うんです。そこに暮らす人々も街の要素の一つで、住む人が元気で魅力的であれば、その街も魅力的な物になるのではないでしょうか。映画によって元気な人が増えれば、それだけで横須賀は魅力的な街になり、横須賀に留まる人も増え、住んでみたいと思う人も増えるかもしれません。

実際、財政破綻した夕張も映画祭のときだけ街は活気に溢れます。映画にはそういう力があるのです。

映画の進行状況ですが、先月、脚本が完成しました。

題名は「スカジャンブラザーズ」、ストーリーは、夢を持ちながら、どぶ板でくすぶっている便利屋稼業の兄弟の話です。中々評判も良く、私自身も面白い映画になると自信を持っています。

現在、主役をある俳優にオファーしているところです。4月までには決まっている予定でしたが、実は難航しています。まあ、思い通りに行かないのが映画なので。

主役が決まり次第、協賛金のお願いを広く募っていきたいと思っています。個人向け、会社向け、協賛金額に応じて様々な特典メニューを提示させていただき、無理なく協賛ができるようなリストを作成中です。

近年、クラウドファンディングというやり方でネット上で日本中から支援金を集めるやり方で映画が作られてもいますが、私たちは、まるごと横須賀に拘り、なんとか横須賀の皆さまの手で協賛を集めたいと思っています。

現在、上映中の大林監督の「野のなななの日」という映画は、北海道芦別で撮られた映画です。1億の制作費は、監督が2千万。市が2千万。市民協賛が6千万で作られたそうです。芦別市の人口はおよそ1万5千人。横須賀市は41万人です。

私は出来ると信じています。ここにおられるみなさんの協力があればきっと実現出来るでしょう。

今、横須賀の映画を作るという私の夢は、既に仲間の夢になってます。横須賀の未来の為にもなんとか映画を成立させたいと思っています。ご支援の程、よろしくお願いします。

今日は、ありがとうございました。

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