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<新会員卓話 1>                                植 田   威 会員
今年4月15日の第2923回例会で入会させて頂きました山本学園の植田威です。
一人娘の結婚式のため、休暇をとり出掛けておりましたところ、八巻様から新会員卓話の御連絡を頂き、本日このような機会を頂きました事に、感謝申し上げます。娘の結婚式にiPadを持参する私に、妻のあきれた眼差しのシャワーを浴びながら、八巻様へ返信したメールが「文字化け」していたというのはショックでした。実のところ、ITには少し自信があったのですが、・・・、ホテルのネット環境が私を嫌ったのでしょう。それでも娘の結婚式は感慨深く、はまってしまいました。妻と娘は、「お父さんは、泣かない!」と、あたかも私が娘の結婚に関心が無いかのごとく決めつけておりました。その後の事は、私のシンプルさを露呈する恥ずかしいことになりますから、申し上げることを控えさえて頂きます。皆様が台風で大変だった時期、とても思い出深い経験をさせて頂きました。
私は1959年(昭和34年)に神奈川県藤沢市で生まれました。幼稚園・小学校・中学校は地元の学校に通い、高校は田園地帯の真ん中にある神奈川県立茅ヶ崎北陵高校に入学しました。自宅から学校までの距離はありましたが、1時間に1本程度しか運行していなかったJR相模線がもどかしく、自転車通学を楽しんでおりました。同級生3人とテントを背負い、自転車で、箱根を超えて富士宮で1泊、白糸の滝を経由して本栖湖で1泊、富士五湖を経由しJR山北駅で1泊したツーリングは、今でも夢に出てきます。
さて、私自身は特別な技術があるというスペシャリストではありません。また、多様な適応力を有するジェネラリストでもありません。正直なところ、親切な方々に恵まれ、事あるごとにチャンスを頂き、育てて頂き、引き上げて頂いて、今日があると認識しております。とても周囲の方々に恵まれて参りました。
大学は横浜国立大学教育学部で過ごしましたが、ほとんど勉学というものに手を付けた記憶がありません。その私に「お前が30年間も教育機関に身を置いているのが不思議だ」という同級生もおります。交通量調査、エレベータボーイ、水道浄水器のフィルタの交換営業、旅館での客室・浴場の清掃、運転手などとアルバイトの毎日でした。就職活動など考えてもいませんでした。クラス担任の教授がおりまして、私のいい加減さを心配し、就職の受験先として岩崎学園を見つけていただき、市販の履歴書の欄外に推薦の文章を記して下さいました。お蔭で私の就職が決定したのですが、岩崎学園の経営者が推薦文を気に入ってしまい、教授には岩崎学園の専門学校で2年間、文章作法の授業を非常勤で担当頂くという大変な「贈り物」までしてしまいました。教授のお蔭で、社会人としてのスタートを切ることができました。岩崎学園の採用試験の役員面接の際、経営者が私の評価欄に「×」印を記したのが見えました。後でうかがった理由は、私が全くコンピュータに興味を示さなかったからだったそうです。幸い、他の2人の役員が「○」を付けて頂いたことにより採用となりました。奉職後、この経営者から、「砂糖の商いをしている会社がコンピュータを購入し、管理システムをソフト会社に発注したが、ソフト会社が請けないで困っている。話を聞いて開発してあげてくれ」という指示がありました。会社の業務内容も、開発手法も、プログラミング技術も全く無い私には、無謀な指示でしかありませんでした。図々しいことに、ソフト会社が断ったシステムを自分が構築できたらスゴイという驕った夢物語も脳裏を走りました。悪戦苦闘の3か月間の末、幸運なことに、システムはお客様の要望通り稼働しました。大きな自信になりました。この機会を、私に与えてくれた経営者、採用試験において私に「×」の評価を下した経営者ですが、感謝と同時に、私への日頃の叱咤激励が私の財産となっています。
情報セキュリティの人材育成と研究を行う大学院大学の開学準備にあたっていた折、情報セキュリティの啓発普及活動を行うNPO情報セキュリティフォーラムの設立計画が持ち上がりました。理事長は、当時、神奈川県知事を2期8年務められた岡崎洋様です。元知事から「事務局長に就いて下さい」と声を掛けられ、有頂天になり、即断で快諾してしまいました。ネットの安心・安全利用に関する研修会を、児童・生徒、教職員、保護者等を対象に、年間100件程度、行っております。この夏、隣の金沢区の小学校に招かれました講演会では、物井様の素敵な奥様とお話する機会もございました。このNPOの活動を通じ、「行くに径(こみち)に由らず」を信条とする元知事のもとで、「清廉」かつ「斬新」な発想と、力強いリーダーシップを学ばせて頂いています。神奈川県内の99校の専門学校が参加する神奈川県専修学校各種学校協会という社団法人があります。山本学園の前理事長寺島孝先生は同協会の副会長を務めていらっしゃいました。私も同協会の委員会に所属しておりましたので、寺島先生のもとで15年間程、仕事をさせて頂きました。ある時、寺島先生の大親友である岩崎学園の経営者から「寺さんから山本学園にキミを欲しいと頼まれた。手伝ってあげてくれ」という話を頂きました。寺島先生の御病気が分かる前のことでした。寺島先生は、病気が判明後、奥様を励ます会として生前葬を行い、病院・葬儀の事前相談を自ら行っておりました。谷様にも同席頂きました、今年5月26日の山本学園の理事会において、寺島先生から次期理事長の指名を頂き、その将に1週間後、私の誕生日の翌日6月2日に帰天されたのも、寺島先生との御縁かと考えております。寺島先生の決して周囲に辛さを見せない毅然とした態度は、今の私の模範であります。
山本学園、岩崎学園、NPO情報セキュリティフォーラム、そして妻と二人だけになった家庭が、主な私の活動フィールドですが、人材育成・啓発普及活動を通じて、地域社会に貢献できればと考えております。
ロータリークラブの本来の新会員卓話の趣旨とはズレた内容になってしまったかもしれませんが、心ある方々に恵まれ、チャンスを頂き、育てて頂き、引き上げて頂いたというのが実感です。
入会させて頂き6ヵ月ですが、この間だけでも何人もの会員の皆様にお世話になっています。引き続きの御指導・御支援、何卒よろしくお願い致します。
 
 
<新会員卓話 2>                             水 野 正 三 会員
本年の6月に入会させていただきました住友重機械工業の水野でございます。本日は新会員の卓話ということで貴重な機会をいただきありがとうございます。本日は自己紹介ということで、生い立ちや会社での経歴についてお話させていただきます。
私は1949年2月13日に福井県福井市で生まれました。福井駅から徒歩10分位の左内町という所です。幕末の志士で安政の大獄で亡くなった橋本左内のゆかりの地です。名前は正三ですが、父親が正男という名前で4人兄弟の三男坊であったことから正三ということになったようです。妻も福井ということでなかなか福井弁がぬけません。高校までずっと福井で育ったわけですが、母親が教育熱心であり、幼稚園の頃から自宅に先生を招き書道を学んでいました。半紙はもったいないということでA4サイズ位のちり紙で練習したのを覚えております。夜遅くまで何枚も書き、いいものが出来上がると茶の間で父親と酒を飲んでいる先生の所へ持って行き「良し!」との声が出ると終わりになります。遅いときは12時近くまで練習していました。それからが子供達の楽しみであるラーメンの出前があり長い一日が終わります。冬になると毎年「席上揮毫」という大会があり、大会では半紙3枚だけ与えられ、その場で初めて与えられる文字を描き、学年で3人位が知事賞などの「推薦賞」を受けます。残念ながら私は一度も推薦を受賞したことはなかったのですが、兄は小学1年から高校3年まで12年連続で推薦賞を受けました。
又、音楽に興味があり、小学校では鼓笛隊、中学/高校ではブラスバンド部に入り、クラリネットとアルトサックスを弾いていました。当時「世界の中の日本人」という本があり、その中に指揮者の小澤征爾さんが載っていて、最初に子供心になりたいなと思ったのがオーケストラの指揮者でありました。金沢までカラヤン指揮のベルリンフィルを聞きにいったのもこの頃です。しかし残念ながら我が家にはピアノがなく断念した次第です。その次になりたかったのは脳外科のお医者さんです。当時交通事故が増加し、日本には脳外科医が200人位しかいなかった時代です。その次がアポロ計画が盛んな頃で航空宇宙関係と将来の夢はどんどん広がりました。そして大学進学を選ぶ時期になり、何か大きなものを作るエンジニアになりたいと思い受験雑誌を見ていたら造船も航空も流体力学で同じような勉強ができるという記事があり、造船学科を選んだわけです。大学は大阪大学でしたが、ちょうど70年安保の最中であり、2年の後期から3年いっぱいの約1年半、大学が閉鎖され講義がありませんでした。従ってもう少し勉強しようと学部卒業後1年間研究生として学び1972年に住友重機械工業追浜造船所に入社しました。追浜造船所では現場スタッフを9年、その後設計に移り配管とか係留、救命などの艤装品の設計を9年経験した後、再び製造に戻りマネージャーを2年担当し、92年、42歳の時に田無市(現西東京市)にある精密事業部に転籍しました。人生の転機です。既に金沢文庫に居を構えていたので、金帰月来の単身赴任が始まり約10年単身赴任を経験しました。精密事業部で担当した部門は前身が中島飛行機の鋳鍛造工場であり、航空機の機体部品とエンジン部品を製造していました。ここで子供の頃の夢のひとつであった航空関係に携わることができたのです。主力製品は航空機エンジンのブレード(翼)と発電用タービンのブレードでチタンとかニッケルの部品で、F15やF2といった戦闘機や今話題のボーイング787のブレードを作っています。ここで製造部長、営業部長の経験をしましたが、99年に航空機、発電関係が厳しい環境に会い、分社化を決意し2000年7月に「住重フォージング」という会社を設立、初代の社長となりました。51歳の時です。
さらに2001年から2002年にかけて住重全体の事業環境が厳しく、株価も50円割れという危機的状況になったわけですが、この時に「住重フォージング」がグローバルに戦うためにより効率的な新工場を建てようということで、西東京市の土地を売却し、横須賀製造所の敷地内に新工場を建て2003年に設備と人を含め横須賀の地に移転してきました。お陰様で、ビジネスボリュームも08年には売上100億を越え、創立10周年も無事終え、この事業を後輩に託し、この4月から横須賀製造所長を仰せつかっております。
この様な経験から私の好きな言葉は「鍛える」「鍛錬」という言葉です。「鍛錬」とは、元の意味は金属をきたえねることですが、これが転じて修業・訓練を積んで心身を鍛えたり、技能を磨いたりすることに使われます。「鍛錬は千日の行、勝負は一瞬の行」や「百を忍びで千を鍛えれば事遂に全うす」が座右の銘です。
最後になりますが、趣味は音楽鑑賞とゴルフですが、ドライバーが飛ばなくなってきたので60歳になったのをきっかけにスクールに通い始め、もっか鍛錬中であり、音楽に関してはいつかピアノを習いたいなと思っています。家族は妻と二男二女の6人家族です。心残りは誰も未だ結婚していないことですが、ロータリー会長のメッセージにあるように自分自身の心の中を見つめ、強い家族を築き、それを土台にロータリークラブの活動に微力ながら頑張っていきたいと思いますのでご指導宜しくお願いします。
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