活動報告

卓話:「 野菜作りの楽しみ」

ファーミング・アーティスト マイケル・キダ 様

3141.jpgこんにちは。マイケル・キダともうします。KEIDAと書いて「キダ」と発音します。妻が日本人ですが、キダ(KEIDA)はもともとのfamily nameです。ルーツは、よくわかりません。私はもともと、ニューヨーク州の生まれです。父の仕事の関係でニューヨークとオハイオを行ったり来たりしました。日本に来たのは、2007年、28歳のときです。日本に来る前に1年韓国に住んでいました。日本にも1年だけのつもりでしたが、気が付いたら8年経っていました。横須賀市の秋谷に住んでとても心地よいのでこれからもずっといるつもりです。
私は今、住んでいる秋谷の畑で野菜を育てています。そして、野菜を使った料理をテレビで紹介したり、子供たちと一緒に、自然の中で遊んだり勉強したりするプログラムを企画・運営しています。
 これが私の畑です。およそ1000坪あります。そこで、100種類以上の野菜を栽培しています。今の時期も30種類ほどの野菜がゆっくりと大きくなっています。いろいろな野菜を作っていますが、主には3つの種類です。①普通のスーパーで売っている野菜 ②珍しい野菜;20種類のカラフルなトマト、イタリア野菜のレティキュオ、ブロッコリーとカリフラワーの掛け合わせのロマネコス、江戸時代から伝わるかぼちゃなどです。伝統野菜は虫がつきにくく味も美味しいです。農薬を一切使わないのですが、苦い野菜は虫がつきにくいです。③山に入って自然にでているもの木苺、ベリー系のもの、くまイチゴなどを見つけます。自然薯、たけのこ、ふきのとうなど季節のものを楽しみにしています。花も楽しみの一つです。山を歩いていて珍しいタイプのひまわりを見つけ種をまいて咲かせてみました。他にもふきのとうの花や豆の花、キャベツの花など見ても綺麗、食べても美味しいです。いつも白紙をバックに自然光のまま写真を撮ります。
 私の専攻はもともと心理学で仕事をするつもりでした。フェンネルが自分で野菜を育てようと思ったきっかけになりました。7年ほど前のことです。ブイヤベースを作ろうと思って、生のフェンネルをさがしたのですが、どこにもなく紀伊国屋でやっと見つけたら小さいのが800円もするんです。それなら、自分で畑を作って自分で野菜を育てるしかないと思ったのです。結婚したとき、最初は芦名に住んでいたのですが、庭が10坪ほどしかなくて、不満でした。その後、200坪くらいの畑が作れる場所を借りました。そこに自分で小屋を建てたり、レモンの木を植えたりして3年してうまくいっていた頃、大家さんがその土地を売ってソーラーパネルになってしまいました。本当に、がっかりしました。そのあと、友人に紹介してもらい今の広い土地を借りることができました。
 自分の畑を持ちたいと思うようになったのは、祖父や父の影響もあると思います。祖父は大きな農場を持っていましたし、家の庭にも200坪ほどの畑を作っていました。父は料理を作るのが好きでした。イタリア、スペイン、メキシコと様々な国の料理を作ってくれました。5歳のころから、父に包丁の使い方を教わったりしながら一緒に料理をしていました。早くから道具の使い方を教えてもらったのは、とてもよかったと思います。14歳のとき、父がラム肉のかたまりを使った肉料理を作ってくれました。ところが、私は、その日は「今日からベジタリアンになる!」と宣言した日だったのです。そのとき、父はすごく怒りました。でも、それから何日かして、父が、ベジタリアンのための、とてもしっかりした本を買ってきて、プレゼントしてくれました。ベジタリアンになるならベジタリアンについてきちんと勉強しろ、ということでした。
 これは16歳の時のインラインスケートという競技の写真です。ローラースケートの靴みたいなものをはいて、アクロバットのようにすべるのですが、スポンサーがついて大会に出るようなプロの選手でした。選手としてはちょっと有名だったので写真が新聞に載ったりしました。スノーボードもやっていて、先生もしていました。また服のデザインもして新聞にもでました。宇宙服みたいな服を作って、自分のブランドをつくってお小遣いを稼いでいました。ダンスもやっていました。
考えてみると、父からは、「いろいろなものを自分で作ってみる」ということを教えてもらいました。そのことが、ものすごく役に立っています。自分で畑をやるようになって、とくにそれを感じます。子供のころ父から日曜大工を教えてもらい、鋸、インパクトドライバーの使い方を習って、デッキを作るのを手伝いました。大人になって、自分の畑にも10日間で自分の小屋を作りました。そこで休憩時間にコーヒーをのんだり、種を保存したりしています。そういう技術の多くを父から学びました。なにより、「自分で作る」という考え方を学びました。自分で何かできると自信がついてくるこのことを子供達に伝えていきたいと思っています。藤沢にある湘南学園の子供たちのために、ものづくりのプログラムで講師をときどきやっています。それは英語教育の意味もあるのですが、大切なことは「英語に慣れる」ということではなくて、自分で手を動かして何かを作り上げるということの充実感や満足感を知ることだと思っています。そして、自然の中でいろいろなことを体験する教室も開いています。作るだけでなく、自然の中でいろいろなことを感じることが大切だと思っています。ですから、私も、子供たちと一緒に遊びます。大人になっても子供たちと同じ気持ちで、同じように楽しむことで、「大人になっても子供みたいに自然を感じることが大切」ということを伝えたいのです。キャベツを収穫してお好み焼きパーティをしたり、畑で採れたての野菜でピザを作ったり、鋸の使い方、縫い物、パスタなどの料理の仕方、山に入ってサバイバルのやり方、蜜蜂を飼ってはちみつとったりすることを子供達に教えています。種から作って自分たちで収穫して食べると子供達は本当に喜びます。
 他にもモデルの仕事をしています。オリンピックのためのプロモーションです。湘南のfeel湘南という事業や海外むけの番組NHKワールド東京アイ2020というのがあります。毎回東京のいろいろな場所からのレポートをしています。
また、テレビ神奈川のお昼の番組『ありがとッ!』でマイケル農クッキングという生番組で自分の畑で採れた野菜を料理する番組にも出ています。
 横須賀でいろんな人たちと友だちになって、住んでいる地区のお祭りやいろんなイベントに参加して、人生が変わりました。友人に助けられて生きていることに感謝しています。大楠地区で暮らすようになって、横須賀のいろんな魅力がわかるようになりました。海とか空とか風とか、生き物と一緒の生活とか、あるいは人とのつながりとかいろんなことを教えてもらっています。そして、こんなにすばらしい風景の中で生活できることに感謝しながら、横須賀で生活していきたいと思います。
どうもありがとうございました。
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